ひどいニキビの男子生徒が来たら、野球部かサッカー部を疑う。埃だらけ、汗だらけだから、ニキビも元気がいい。
案の定彼に野球部?と尋ねたら当たっていた。と言うのは連れてきたお父さんが、かつて僕の作ったバレーボールの同好会で一緒に楽しんでいた嘗ての青年だったから。彼自身はとても良い体をしていて、高校時代野球で鍛えた体をまだ十分維持していて、僕なんか跳ね飛ばされそうだった。ただバレーボールは彼にとっては全くの別物らしくて、親ほどの年齢でひ弱な僕のほうがうまかった。年齢、性別、上手下手入り乱れて、とても楽しい25年間を過ごさせてもらった。
蛙の子は蛙。1年に一度しか牛窓に帰ることが出来ないと言うから、ピンときた。「野球留学しているの?」するとそうだと答えた。となるとかなりの名門高校に違いない。冗談半分ではなく、かなり本気に近い辺りで「甲子園に行ったの?」と尋ねると「行きました」と答えた。
なんだか最近こんな僻地の町でも頑張っている若者の話が耳に入る。かつては20年に一度くらい輩出する東大生くらいしかいなかったが、いまは活躍する土俵がずいぶん学業以外に広がり、むしろそちらの方が実利的だ。東大卒業後にこうなりましたと言うその後が見えない栄光より、分かりやすい活躍のほうが身近に感じることも理由だろう。
人生を評価する価値観も大いに変わってきたのだと思う。受験勉強くらいしかすることがなかった僕らの青春よりはるかに楽しそうだ。山のあなたの空遠く幸い住むと人は言ってきたが、幸いはみんなが暮らす里山まで下りてきてくれている。