恩恵

 当時の人間なら、皆がそう思っていたのかもしれないが、漠然と仕事は55歳で引退すると考えていた。
 そのうち世の常識が、60歳になり、65歳になり、今では70歳と言う声が大勢を占めるようになった。まったく世の流れに沿って僕も仕事を続けてきたが、今は75歳をイメージして毎日働いている。
 人は生きた年数に比例して色々な経験をする。幸か不幸か薬局をやっていたら、自身が経験した体調不良は役に立つ。教科書よりリアルだから。そしてそれを克服した経験はさらに役に立つ。所詮薬局の守備範囲は軽医療だから、日常しばしば遭遇する体調不良を克服できればいい。そしてもしそれが漢方薬みたいに自然原料のもので克服できればさらに良い。
 こうした理由で、75歳までは仕事をしようかなと思っている。目の前に現れる方の訴える不調が年とともに理解しやすくなるから。もう数年はお役に立てれるのかなと思う。ただ僕の場合は、商品を手渡すのではなく、薬局製剤と言う漢方薬を作るから、意外と肉体労働的な要素も含んでいて、立ったりしゃがんだりが多い。手元の作業も必須だから、肩も首も凝る。元々鍛えた体ではないから、よほどメンテナンスしないと、頭より先にそちらの方が悲鳴を上げそうだ。
 そのためにウォーキングとかストレッチを欠かさないが、この寒さでその効果など吹っ飛んでしまいそうだ。温暖な晴れの国で育ち、一時期岐阜で過ごした後、帰ってきたから、北国の人のように強靭な体力や意志は持ち合わせていないが、身体が風雪に晒されなかった恩恵だけは残っている。意図して境遇を変える機会も動機もなかったが、その恩恵だけを頼りに、あと数年頑張らせてもらおうかと思っている。

 


平和を生む日本の「変わり身の早さ」と「節操のなさ」がおかしな方向に…(三枝成彰
きのうまで「鬼畜米英」を唱えていた人たちが、敗戦となった途端、「アメリカ大好き、民主主義バンザイ」を唱えた。この変わり身の早さと節操のなさゆえに日本は滅びなかったといえる。
日刊ゲンダイ保阪正康さんのコラム「日本史縦横無尽」によれば、なんと8月15日のポツダム宣言受諾直後に、当時の警視総監(前日まで風俗紊乱や反戦主義者を取り締まっていた右翼の先鋒)が米軍相手の「特殊慰安施設」をつくれと命じたという。総監は都内の主要な接客業組合の代表者を集めて、「米軍が駐留中は愉快に過ごしてくれることが望ましい」とのたまったとか。
そんな節操のない日本が、おかしな方向に走り出そうとしている。岸田総理は自民党の麻生副総裁から「有事の宰相」と持ち上げられ、政治的難題に答えを出すのが「私の歴史的役割」と述べた。
戦時中、軍医見習だった故・箕輪登議員は自民党きってのタカ派だったが、「先制攻撃は絶対にいかん」「政治家が考える一番の人間の幸せは平和だ」と言ったという。田中角栄も「戦争を知らない世代が政治の中枢となったら危ない」と言ったそうだ。
そもそも総理が属する宏池会吉田茂池田勇人の流れをくむもっともリベラルな派閥だった。中国を“仮想敵国”としたところで、日本の10倍の超大国にはかなわないに違いない。かつての対米戦争と同じだ。北朝鮮の軍備増強も日本などハナから問題にしていない。
だがマスコミはそれを報じない。岸田総理らへのお追従の記事ばかり載せるさまは、戦前のマスコミが軍国政府の言いなりだったのと同じだ。
先の戦争で死んだ兵士たちは、日本をこんな国にするために犠牲になったのではない。当時もみな「生きて虜囚の辱めを受けず」という東条英機が作った“戦陣訓”に縛られて亡くなった。敗戦後、当の東条本人が連合軍に虜囚の辱めを受けて裁かれる結果となったが、彼は平和をどのように考えていたのだろうか。
もちろん国の守りは必要だ。自衛官(国家公務員)の給料は警察官や消防士(地方公務員)よりも低く、定年も早い。国防の重責を担う彼らはもっと優遇されるべきだが、武器や兵器を買うために予算を増やす必要はない。
ロシアのウクライナ侵攻の遠因は、欧米人から侮蔑され、三等国扱いされてきたことへのプーチンの恨みである。その行いはむろん非道だが、西側諸国にも責任はある。日本人は明治以来、ロシアの文物に親しんできた。私も若い頃は歌声喫茶で「カチューシャ」や「黒い瞳」などのロシア民謡を聴いたが、欧米人はロシアを“敵性国家”だと差別してきたのだ。
■人が生きる権利は何よりも尊い
シベリア抑留経験者は、米軍が捕虜の労働に給料を払っていたと聞いて仰天したという。70万人の日本兵を不法に連れ去り、うち10万人を理不尽な強制労働で死なせたソ連に比べると、アメリカは人道的に映る。だがそのアメリカも朝鮮戦争ベトナム戦争で蛮行を重ねた。60年代の公民権運動で黒人差別を撤廃したのは素晴らしいが、いまだに人種差別は根強く、多くの問題を抱えている。
日本が彼らにならう必要はない。国を挙げての差別や殺戮とは、永久に決別しなければならない。命が大事、平和が第一だ。人が生きる権利は何物にも代えがたく尊いものだ。それを奪うことは、国家にさえも許されないのだ。

三枝成彰/作曲家)