啖呵

 「二度と敷居はまたがない」と、まるで時代劇みたいな啖呵を吐いたのを覚えている。ただしその頃のその女性はまだ20歳代で、時代劇などとても見そうにない出で立ちだったが、時とともに人は変わるものだ。と言っても、30年くらいの時は経っているが。
 この1週間、薬局にやってこないからコロナについにかかったかなと思っていたら、今日ひょうひょうとしてやってきた。そしてやたら忙しかったことを強調した。その忙しさは、嘗て啖呵を切った義理の親が二人とも体調を悪化させ、2回救急車の世話になったからだそうだ。現場での対応、後日病院での精密検査などを世話したらしいが、そのときの義理の両親の対応が以前とは全く違って、女性に対する感謝の言葉が次から次へと出てきたそうだ。以前は江戸時代かと言うような嫁に対する態度で、怒り心頭だったのが、なんだか哀れで心から同情できる自分がいたそうだ。「命が失われそうな人」と表現していたが、心からお世話をしたくなってしていたら、相手が以前なら考えられないような態度を示すようになって、感動を覚えたみたいだ。
 睡眠時間も奪われるほど岡山の総合病院に通い、自分の血圧を心配していたが、測ってみると、全く悪化していなくて、いやむしろ最低血圧が理想値近くまで下がっていた。自分でもその値が不思議なようで「どうして悪くなっていないんじゃろう」と僕に尋ねたから「自分が、寛容な心で義理の両親に対応したから、むしろ自分の身体に副交感神経のメリットが働いて、こんなにリラックスした血圧の値が出たんじゃ」と解説した。
 僕は彼女に許しの感情が芽生えたことが嬉しかった。相手にではなく、自分自身にもその行為が恵みをもたらしてくれることを知ってほしかった。僕の解説が当たっているかどうかはわからない。ただ、彼女が取っているこの1週間の行動が、なるべく化学薬品を口にしたくないと言う主義を応援してくれている。だから僕は、嘘でもいいから、間違っていてもいいから応援したかった。

 

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