適当

 「適当にすればいいがと言われた」と妻が笑いながら言った。息子にそう言われたらしいのだ。僕もその息子の適当さに思わず笑った。そう、そのくらい適当のほうが上手に生きていくことができる。何も完璧を求めて人は生きているのでもなく、完璧を強要などされたら人生そのものの質を落としてしまう。
 妻は岡山の専門医にお世話になって血圧の管理していたが、いまいちあるべき値まで下がらない。遠路はるばる通っているのにその結果がついてこないために、ついに消化器内科の息子に薬を頼んだ。息子が処方してくれた薬を飲み始めて、望むところまで値が下がった。もうこれ以上下がると逆にしんどくなりそうだから、その旨を息子に伝えたそうだ。すると冒頭のメールが届いたようだ。
 専門外だからあまり興味がなかったのか、母親だからか知らないが、患者にはそんな言葉は吐けないだろう。ただ僕はしょっちゅうその手の言葉を口に出す。すべては患者さんの自由というのが僕の考えだから、お手伝いできることは一所懸命するが、結果はご自分が負わなければならない。薬局の場合は命にかかわるテーマはないからその手の適当も大いに許されるが、病院ではその点は厳しいだろう。
 せめて家族の前ではおおらかに「適当」を貫き、患者さんの前では真剣に。妻の話を聞きながらそう思った。