手紙

 県外のインターネット経由の患者さんは別として、わざわざ足を運んでくれる方に漢方薬を作ったときには必ず効果を聞く。その手段はもっぱら手紙だ。手紙といっても内容はすこぶるシンプルで、経過を尋ねるだけで、知りたい情報は箇条書きに近い書き方で質問をする。それでもこの作業は僕にとってとても大切なもので、早い段階で薬があっているかどうかを確認する作業は欠かせない。  今日も2人の患者さんに手紙を書こうとしたのだが、丁度レポート用紙が切れて一人も書けない状態だった。使いさしが結構あるから、心当たりを探しても残念ながら一枚も見つけることが出来なかった。そこで姪に買ってくるように頼んだら、妻が「お父さん、ちょっと待って!」と言うや否や、ある引き出しからレポート用紙を出してきた。見ると表紙から色あせていて、中は言わずもがなで、ほとんど茶色のレポート用紙だった。年代物なのはすぐに分かった。子供たちが使っていたものか、ひょっとしたら僕たちが使っていたものかと言うくらいなものだった。「こんな古くて色あせたものが使えるか!」と言う会話は我が家ではありえない。「ありがとう、これですぐ書ける」と感謝だ。薬を飲み始めてもらい、2週間後に症状を尋ねるだけだから紙が焼けていようがいるまいが、関係ない。こちらの想いが伝わればいいのだ。そして返事を返してもらって僕が勉強をすればいいのだ。きれいな紙で手紙を書いて送れば、僕の漢方薬が一段と効くのなら僕は躊躇わず文房具店に走るが、効くかどうかは僕の実力だから、紙質とは関係ない。  そう言えば先日高山から先輩と一緒に訪ねて来てくれた男性が、お礼の手紙を届けてくれたが、彼は僕より「気にしないタイプ」だ、なぜなら彼の手紙はチラシの裏だった。でも折り紙のように丁寧に折られていたから彼の性格は「どれがほんとなんじゃぁ~」息子に見せるとまた「自由な人達じゃなあ!」と感心して感化されそうだから、娘夫婦と妻にだけ見せた。危ないところだった。