経験則

 1年前に、甲状腺の機能亢進症になった。同じ頃ストレスがかなり重なった。そのせいかどうか分からないが首が震えるようになった。首の震えは他人にも分かるので恥ずかしい。大学病院で治療してもらったが治らない。今度精密検査を受けるから、それまでに何とか軽くしたいといって相談に来た。  牛窓の人だから1週間分だけ漢方薬を作って飲んでもらった。1週間後にどうなったか結果を知りたかったので手紙を書いた。が、返事が無かったので効果が無かったのだと結論付けていた。ところが昨日1ヶ月ぶりに大学の処方箋を持ってやってきた。その薬はずっと飲んでいるものだから首振りとは関係ないが、良い機会だから漢方薬で首の震えが改善したかどうか尋ねてみた。すると青年は思いもかけぬことを言った。1週間漢方薬を飲んで首の震えは完全に止まったらしい。丁度その後、以前から予約していた大学病院の精密検査をしてもらったが結局は異常無しだった。青年は医師に、ヤマト薬局で漢方薬を作ってもらって飲んだと告げたらしい。するとお医者さんが「その漢方薬が効いたんでしょうね」と言ったらしい。  青年にどうしてもっと早く教えてくれなかったのと尋ねると、僕が出した手紙が他の郵便物に挟まっていて気がつかなかったらしい。薬を作った方が本人より真剣に症状について考えているいい例だ。青年は取ってつけたように「まだ飲んだほうがいいですかね」と尋ねたが「治れば飲む必要はない」と答えておいた。  漢方薬の欠点でもあり、長所でもあるところが彼を救った。言い換えると、程度の低い僕の欠点でもあり、長所でもあるところが彼を救った。漢方薬は現代医学みたいにミクロの世界まで極めることは出来ない。漠然とした経験則の上に成り立っている。だから現代医学を総動員して原因が分からなかった症状を、単なる一薬剤師の経験が消し去ってしまった。  世の中には捨てがたいものが一杯ある。捨ててはならないものが一杯ある。己の欲望で捨ててはならないものを捨てようとしている奴が政権を牛耳っている。早く気が付かなければ 首振りの1つも治せられなくなる。