勝手

 正にこういったシーンを目指していた。
 昼食後、なんとなく2階から道路を眺めていた。いつもながらの穏やかな昼下がり、信号機の向こうから3人のお年寄りがゆっくりとした足取りで近づいて来た。二人は普通に歩いているが一人は手押し車の助けを借りていた。その女性に合わせているのか本当にゆっくりで、僕の薬局の前を通り過ぎるのも時間がかかる。
 一様にうつむき加減だから顔までは分からないが、歩くさまが僕よりはずいぶん年上のように思えた。また3人が3人、灰色か黒かの服やズボンをはいていたので、一様に老いを連想させる。
 その3人がなんと、薬局を通り過ぎた後、おもむろにドッグランに入って行った。丁度2匹の大型犬が遊んでいて、クレープ目当ての若者たちも数人いた。勝手知ったるのようには見えなかったが、ゆっくりとクレープのショップの中に消えていった。
 それを見届けて僕は窓辺から離れたが、この光景こそ僕が副次的に求めていたものだ。老いて犬を飼うことはできないが、忠犬ハチ公を人様の犬で体感することはできる。孤独を疑似体験で一瞬でも癒すことが出来れば、施設を作った意味がある。
 人や社会と人為的でなく、丸で偶然のように接することが出来る場所があったら、どれだけ老いの恐怖や体の衰えによる苦痛から逃れられるだろうと思う。一人では孤独も痛みも不自由も増幅して襲ってくる。
 僕の中では、ドッグランは完成していたと思っていたのに、今月から花壇の整備が始まるらしい。それなら少なくとも僕が毎朝ドッグランの中を20分くらいウォーキングしているように、花を横目に「勝手に歩く人たち」が増えてくれたらと思う。

 

貧困老人自己責任社会。自民党が作り出す姥捨て山。老人ホームが崩壊し、自宅の介護も崩壊。政府が切り捨て始めた日本人の安心安全老後の未来・・・澤田晃宏さん。一月万冊 - YouTube