少しずつドッグパークの工事が進んで、なんとなく広大な更地が景色を変え始めた。
 更地のある部分、そこは恐らくワンちゃんたちがフェンスの中に入って行く玄関に当たるのだと思うが、ペンキでサークルが書かれていた。土の上に描かれてもう2週間近くたっているから、所々色が抜けているが、ここがこの施設の中心?売りになるのだろうなと想像がつく。
 その売りが僕にはどうも小さすぎるのではないかとずっと懸念していた。ショップから出てきた人がそこを通ってドッグランに入って行くのだろうが、なんとなく貧層に思えていた。
 ところが昨日から、その工事が始まると聞いていて、さっそく今朝見に行った。するとすでに更地の入り口くらいから大きなサークルが見えた。少し掘り下げて砂利を敷き詰めているから、他の土の場所とは全然違う。そう、今使った言葉「大きな」と言う形容詞がふさわしい変貌を遂げていたのだ。
 昨日までは「貧相」、そして一晩で「大きな」に変わる。まったく同じ大きさなのに、条件が変わればこんなにも変わる。小さく見えていた時が錯覚なのか、大きく見えたのが錯覚なのか分からないが、面白いくらい変わる。
 そういえばショップもほぼ外観は出来上がったが、同じように建物が建ってから、内部はこんなに広いんだと印象を変えた。
 意識しなければ気が付かない錯覚なんて意外と日常にも多く転がっているのかもしれない。手品はまさにそれを利用しているらしいが、スポーツや芸術分野でも多いのかもしれない。
 ただ政治の分野だけは錯覚を意図的に使って貰ったら困る。昨夜も書いたが、つまらない議員やタラントが、アホコミに踊らされてまともを演じる。視聴率稼ぎで悪臭が漂う未来が来る。罪人達の面を記憶に刻んでおくべき。

 

れいわ新選組 今後の戦略は!?【山本太郎 in JAZZ LIVE SHOW #4】 ゲスト:政治学者 中島岳志氏 - YouTube