現役

 僕がその漢方研究会に入会させてもらったのは、恐らく発足して10年は経っていた頃だと思う。僕より最低でも数歳、多くは20歳は年上の方ばかりだった。僕にとっては親世代にあたる方が多かったように記憶している。
 僕が属してからでも30年以上たったから、当時のメンバーは一人消え、一人消えで、今では発足当時からのメンバーは、あまり思いだせない。
 そうした中、数日前にあるメンバーの訃報が届いた。僕より若いメンバーが、電話が通じないことに不安を覚え薬局を訪ね、そこでベッドに横たわっていた先生を見つけたのだ。
 その先生には、会が解散する前の10年以上会長を務めていただいた。事務方は僕が担っていたから、最後の10年くらい一緒に会の運営にあたったことになる。会はメンバーの出入りがあったが常時10数人だったから、皆さん各々を尊敬し真摯な気持ちで勉強を重ねることが出来た。年に一度の懇親会では、珍しく雑談をする機会もあり、各々の様子も知れた。
 訃報を聞いて初めて知ったのだが、その先生のお子さんは、ある大学病院の副院長さんで、結局はドクターヘリでその大学に搬送されたらしい。そのいきさつを聞いている時に初めて、息子さんが二人ともお医者さんであることを知った。と言うことは40年近くお子さんのことは一切口にしなかったってことだ。
 二人のお子さんがお医者さんで、一人は大学病院の副院長と言うような、親としては自慢のお子さんを持ちながら、一言もご自分の口からそのことを出されなかった。今は時代の遺物のような昔ながらの薬局らしいが、最後の最後までカーテンを開けておられたことを聞いてうれしく思ったが、その謙遜さにはただただ驚かされた。勉強熱心、温厚、優しい、謙遜、飾らない、多くの形容詞を並べることが出来るが、奥ゆかしさほど先生にふさわしい言葉はないと思い知らされた。
 いつも穏やかで、それでいて懸命に講師の先生に質問を良くしていた。晩年は、頭の回転は当然落ちていたが、それでも懸命に勉強していた。体も少し動きづらくなっていたが、欠かさず新幹線を利用して出席されていた。
 毎朝カーテンを開けることで在宅を知らせ、前もって電話をしてもらい、昔なじみの方に薬をだす。ここ数年は、年相応の営業であったらしいが、搬送される日まで現役だったってことだ。職業柄、体調不良を抱えながらも病人にならなかったことが素晴らしい。勉強会でも現代医療をしばしば批判していたが、身をもって実践したのだろう。生かされるより生きることを優先した方だと思う。僕の最期はこうありたいと、しばしば頭に浮かぶ光景を身をもってを見せてくれたと思う。
 亡くなられた連絡を受けて、寂しかったが悲しくはなかった。多くのものに恵まれながらも謙虚に生きた方だから、よき母親、よき薬剤師を全うできたのだから。そして何よりも、さっきまで現役だったのだから。

 

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