出稼ぎ

 そうかこの手があったか。逆を行けばいいのだ。
 痔見ん党などが、お友達ばかり優遇してきたから、日本の企業の力は駄々下がりだ。若い起業家がことごとくつぶされ、結局はかつての財閥が生き残っているだけ。
 そのあおりで、給料は全然上がらずに、生かさず殺さずの江戸時代。僕らはぎりぎり逃げ切れる世代だが、後の世代はたまらない。度胸があれば長年の怨念を晴らそうとするだろうが、金もないが勇気もない民になり下がったから、お隣の国や習さんの国に出稼ぎに行く羽目になるだろうと素人の僕は考えていた。
 ただ以下の文章のように古賀さんは違った。さすが古賀さん、行き先が違っていた。欧米に出かければいいのだ。勤勉さが評価されているから障壁はないのではないか。欧米に労働者として出稼ぎに行き、日本に仕送りをする。ほとんど現在の東南アジアの人がやっていることを、日本人が欧米に向かってやるだけのことだ。文句も言わず黙々と働くアジアの人を求めていたように、日本人が白人経営者のもとで、アジア人に戻ればいいのだ。何の幸運か、一時黄色の白人になったせいで忘れていたアジア人の立ち位置に戻ればいいのだ。そうすれば日本で働くより給料は上がる。そして運が良ければ時には、コンサートに連れていってくれたり、バイキング料理をおごってくれたり、日帰り観光くらいさせてくれるかもしれない。

 

 

日本政府が国民に移民を勧める日 古賀茂明
 週刊朝日が創刊100年を迎える。今から100年前の1922年(大正11年)2月25日の創刊号の見出しを見ると、その直前に終了したワシントン軍縮会議の記事が目立っていた。時代の雰囲気が伝わってくるが、私が関心を持ったのは、『我人口と食料の調節』という見出しだ。
「調節」という言葉が示すとおり、当時は出生率がピークに達した時期で、人口が増大する中、食糧需給がひっ迫するという状況にどう対処するのかが議論されていたようだ。「産児制限」という言葉もあったし、海外への「移民奨励」も行われた時代。「平和の維持」とともに国家が果たすべきもっとも重要な役割である「国民を食べさせること」が大きな課題だったのである。
 それから100年。今日の日本は、正反対の状況にある。少子高齢化が深刻化し、社会保障の基盤が完全に失われた。「産児制限」どころかどうやったら「子供を産み育ててもらえるか」が最大の課題となっている。しかも、国内産業の競争力は日に日に衰え、明日の展望が見えない。資源や食料価格の高騰によるインフレで国民生活は困窮の度合いを高めているが、世界の先進国が、金融引き締めでインフレ抑止に舵を切る中で、日本だけは、「引き締め」の言葉がタブーとなっている。
 日銀がそれに少しでも言及すれば、いや、言及せずとも、引き締めを考えているのではという憶測を呼ぶだけで株価は暴落する。最後はバブルが破裂することは自明で、その時期が遅れれば遅れるほど、被害が甚大になることもわかっているが、誰もまともな金融政策に移行する勇気はない。
 政府も国債に頼って、バラマキによる経済へのカンフル注射を続けない限り、すぐに不況になってしまうとわかっている。そこには、将来に向けた合理的な打開策は見当たらず、行きつくところまで行くしかない状況だ。
 一方、低賃金と物価高で苦しむ日本の労働者だが、世界では、まじめでよく働くことで知られている。米国でベンチャーを経営する日本人経営者は、「工場労働者としての日本人の生産性は、外国人の3倍だ」と言う。
 もちろん、そこには誇張があるが、どんな民族も現場労働者としては日本人にかなわないというのだ。現に、その企業の米国人幹部も可能な限り多くの日本人を雇いたいと言う。「安い給料でも(と言っても日本よりは高いが)全く文句を言わず、仕事は完璧にこなす。頼んでもいないのに改善提案までしてくれる。そんな労働者ならいくらでも雇いたいのは当然」というわけだ。
 100年前と違い、日本人は容易に海外の情報を入手することができる。先進国の中で、日本だけが賃金が上がらず、相対的に貧しくなっていることも国民に知れ渡るようになった。
 日本では、長時間労働で休みは取れず低賃金、サービス残業、セクハラ、パワハラも日常茶飯事だ。そんな日本の労働者にとっては、欧米で働けば、少しはましな労働条件で人間らしい生活ができるという望みがあるように見える。海外で単純労働者として働き、日本に仕送りしてもらえれば、日本経済にもプラスだ。
 令和の移民奨励策。100年前とは全く異なるが、国民を食べさせるためには、そんな禁じ手が議論される日が近いのかもしれない。
週刊朝日  2022年2月25日号より

 

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