脱落者

 妻が用事を済ましている間退屈だったので、車を降りて辺りを散策してみた。かつて岡山市が周辺を吸収して無理やり土地を広げたころに合併されたあたりで、ちょうど密集地から過疎地域に急激に移行するあたりだ。大きなスーパーやホームセンターがにぎわっているあたりから、ものの数分車を走らせると、田園が広がる。丁度その中間あたりだ。
 そこには県道と川の間の50メートルから100メートルくらいの土地に、無秩序に建てられた新しい家やアパートが混在していた。おそらく農家の方々がてんでんばらばらに農地を不動産屋さんに売ったものだから、まったく区画整理されていなくて、ほとんど直線道路がなく、30メートルも行けば30度とか45度とか60度とかに道が曲がる。初めて訪ねる人にとっては新興住宅地と言う名の迷路だ。家と家が接し、お互いリビングから挨拶が出来そうだ。そしてアパートは総じて小さい。そんなアパートがたくさんあって、いったいどんな人たちが住んでいるのだろうかと詮索したくなる。市内に通う若い勤め人か、自転車がやたら多いアパートは学生か。学生時代僕もボロアパートに暮らしていたが、悶々と暮らしていた当時を彷彿させた。
 そこではたと気が付いた。僕には到底暮らせないと思わせた一帯と牛窓の違いは、アパートだ。牛窓にはアパートが1軒もない。外から来た人が暮らすのは、元雇用促進団地、大きな海辺のマンション一棟のほかは必ず民家なのだ。新築する、古民家を譲り受ける、または賃貸する以外には、住む方法はないのだ。
 だから、誰かわからない人が住んでいる家は一軒もない。僕が10分そこそこ歩いて居心地の悪さを感じたのは、治安への不安だったのかもしれない。
 整備されていない幅数メートルの川沿いに遊歩道みたいなのがあってそこも歩いてみたが、すれ違う人は挨拶もしない。僕は正面から来た同年配の男性に挨拶してみたが、その方は挨拶を返してくれた。ただ、おそらく僕が挨拶をしなければ無言ですれ違ったに違いない。僅か数十センチの距離ですれ違う人に挨拶もなくすれ違うことは僕にはできない。
 年齢とともに保守的になるのは避けられないが、年齢と僕の住む町が丁度合致し始めたのかもしれない。まるで脱落者のように50年前に帰ってきた町なのに。

 

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