歴然

ほぼ毎週決まって訪ねるところがある。そこは数週間前に道路標識に車をこすったところで、当初から道の狭さに不安を持っていた。今日時間があったので、そのあたりの道路の様子を探るために近所を歩いてみた。出来れば広い道路を通り、信号がある交差点を利用したい。もう数年間通っているがそうした考えは今まで起こらなかった。そのことを後悔しながら歩いた。  歩いて驚いたのだが、一歩国道から外れると、結構規模が大きいマンションやテレビでよく宣伝されているアパートなどが沢山あった。あるところでは道路がアパート群の中で終わって、進入禁止の看板で私有地だとわかるところもあった。結構迷路みたいだった。と言うのが道路がおよそまっすぐではなく、わずか数十メートル先も見通せないような、いわば無計画に住宅街が作られた印象だった。大小さまざま、新旧さまざまの小さなアパート、個人の住宅、大きなマンション、それぞれが共存している「家だらけ」の区域と言うのが僕の印象で、歩きながら45年前のある些細な出来事を思い出した。  浪人した後、名古屋市立大学の薬学部に合格した。岐阜薬科大学は当時、名古屋市立などよりはるかに難しかったので、勝手に岐阜薬科には合格しないと決めて、名古屋にアパートを探しに行った。大学から紹介されたところを訪ねると、簡単な鉄の外階段を備えた如何にも安普請のアパートだった。それはそれで受け入れられなくはなかったが、アパートの窓から眺めた風景が、それこそ家々の屋根ばかりだったのだ。道路と簡易なアパートばかり。周りに緑は全くなかった。何て乾燥した景色なのだろうと思ったのをはっきりと覚えている。19歳の青年なら、都会と言うだけで何でも許しそうだが、さすがに後に引く光景だった。  今日、岡山の街を歩いていて、45年前名古屋で見た景色を思い出した。「まるで同じではないか、僕はここには住めない」と思った。偶然集まった人たちが、経済の差によってそれぞれにふさわしい住処を見つけている。歴然とした収入の差が、住まう方法に現れている。  働きたい企業がなかったので仕方なく帰って来た牛窓だが、牛窓に建つ家で、海が、山が、島が、畑が、田んぼが見えない家など一軒もないと思う。今日我が家を出て行った息子のマンションからはこの全てが見える。出て行くはずだ。