昨夜泣きはらしたと言う。自分で見つけたできものが、癌だと思い込んでいる。それでも医者に行くのは怖いと言うジレンマで、悶々としている。僕には断定できる根拠を職業柄示せないが、癌とは程遠い様に思える。心配になって意見を求めに連日やってくるが、僕の考えなどよりよほどインターネットの情報を信頼し、蟻地獄に落ちている。
 息子さんも僕はよく知っているが、母親と会話をするようなタイプには見えず、実際偶然二人が薬局で遭遇した時も彼は母親の問いかけに返事もしなかった。
 昨夜、母親が心配の種を明かした。ちょうど食事をしていた彼は、本来なら飲み込むようにして食べるらしいが、30分も台所から出てこなかった。心配になった母親がのぞくと、のどを通らないと彼は言った。泣き明かさなければならなかった蟻地獄の中で見つけた唯一の光だ。母親の権力が強い家だから、息子も存在を疎んじているのかと思ったが、やはり母親が好きなのだろう。話を聞いていてある意味羨ましいと思った。口から生まれたのかと言うような母親と、貝の口をしている息子との葛藤かと今までは思っていたが、母を思う気持ちを体で表現している彼の気持ちは本物だ。
 若すぎるくらいの頃に家庭を作ったその家族を、僕は見守ってきた。あらわな不器用が僕は好きだった。皮肉なことに、虚構の我が家よりも数段肌が合う。