忍耐

 もう10年以上になるだろうか。母親が漢方薬を取りに来るときには必ず車で連れてくる。母親のそばに腰掛け、症状の話や雑談をする。もう長い間通ってきてくれていると、体調や心の状態など手に取るようにわかるから、9割は雑談だ。お茶やお菓子をふるまって、いっぱい話をして帰ってもらう。
 ただ10年も経てばみんなが年を重ね、そのお母さんも80歳を十分超えた。体力の衰えより知性の衰えの方が先行しているように見える。娘はそんな母親をしっかりフォローしていて、笑いを欠かさぬ明るさにいつも救われていた。
 そんな彼女が涙を流した。はじめは鼻炎かなと思っていたが、やがて泣いていることに気が付いた。娘として最高の立ち居振る舞いだった彼女も、ついに心が折れたのだろうか。オウム返しで母親の訴えを聞き、まるで赤ちゃんをあやすように母親に接していた。まるで教科書のような立ち居振る舞いで、表も裏もない彼女だから余計すがすがしかった。
 それなのに流した涙。僕は少し痴ほうが進んでいるなと感じていたが、彼女は、まだ完全にはボケていないから施設には入れられないと言っていた。僕も10年以上見てきたから、お嬢さんが困惑しているのは痴ほうではなく幼児帰りだとわかる。まるで幼子のごとくふるまっている。母親に甘える幼子だ。忍耐強い母親のような、忍耐強い娘なのだ。だから積もり積もらせて涙をあふれさせたのだと思う。
 感動的な美しい光景の裏側に、途方もない忍耐が潜んでいたことを教えられた。田舎の小さな薬局の中にもドラマはある。