担保

 京都大医学部付属病院(京都市左京区)は19日、腎機能障害のある心不全の男性入院患者に、注射薬の炭酸水素ナトリウムを処方する際、誤って本来投与すべき薬剤の6・7倍の濃度の同一成分製剤を投与した結果、6日後に死亡したと発表した。

 あの天下の京大での医療事故が報道された。あの京大で?と思ってしまう。もっともそんなことが起こりそうにない大学病院に入院して治療してもらったばっかりに、そのような事故に巻き込まれた。もしよその病院だったらそんなことにはならなかっただろう。
 ビルの上から落ちてきたパイプが頭に当たり、若者が亡くなった。これも同じような時間帯に目にしたニュースだ。10円玉でも高いところから落ちると頭蓋骨を骨折させるほどの威力を持つとかつて何かで読んだ事がある。その記事の内容に驚いたのを記憶している。たった10円玉でも加速度がつけば大変な威力になる。
 それにしてもこの事故。誰が空から即死状態を強いる物体が落ちて来るだろうと思うだろう。恐らくこの男性は自分が死ぬことすら分からないまま亡くなったのではないか。一瞬にしてこの世から消えていくのだ。もう一秒でいいからその場所を早く通り過ぎていたか、遅れていればこんな不運に遭遇することはなかった。京大事故にしたって、パイプの落下にしたって、一体何のいたずらでこのような過酷な結論を引き受けなければならないのだろう。全く持って不平等。
 1億人の中から一人選ばれる不運。何を持って選ばれるのだろう。こうした事故のニュースを見る度に考えてしまう。そしてそれに選ばれないためには何をどうすればいいのだろう。清く正しく生きていれば遭遇しないですむのだろうか。何を担保すれば免れるのだろうか。人にできることは限られている。でもその限られたものだけでも信頼して不慮の事故から自身や家族を守りたい。