印鑑

 ニーチェの「生きるべき”何故”を知っている者は、ほとんどすべての”いかに”に耐える」と言う言葉を引用して、渡辺和子先生は「生きなければならない理由がある人は、どんなに苦しい情況の中でも、生きていく方法を見出せれるのです」と言われている。どちらもこうして文字で並べてみると力強くて勇気づけられるが、極限状態を経験したことがない僕など、戸外の景色を窓ガラス越しに眺めているようなものだ。 多くのメールの中に体調不良を抱えて生きていくのが辛いと言うメッセージが見受けられる。色々な体調不良があるが、本人にとって見れば自分が患っている症状がすべてで他人とは比べられない。僕の年齢になるともう健康でいるのはかなり至難の業だからある程度あきらめはつくが、若い人達にとっては何故私が選ばれなければならなかったのだろうと、恨めしく思うだろう。ただ、誰を恨めばいいのか、何を責めればいいのか分からないから、解決方法の選択肢をどんどん狭めてしまう。嘆いて口から出すことによって少しは気持ちが収まるのだろうが、背中の方向に歩み続けることは出来ない。 一人部屋にいてガラス越しに戸外を眺めても、雲は流れ鳥は横切る。朝夕に空は燃え夜には星も輝く。だが、生きなければならない理由が羽根を着けて空中を浮遊するわけではなく、色鮮やかに存在を誇示してくれるわけではない。人は人により傷つけられ、人により癒される。窓を開け、空を仰ぎ、耳を澄ますが風は何も唄わない。誰もが決して選ばれた人でもなく、試される人でもない。不運の配達先を間違われた不運の人なのだ。誰も印鑑を持って玄関には出たくはなかっただろう。