観客

 2ヶ月前に来た時には、それこそ足を引きずっていた。今日は、引きずってはいないが、まだ完璧とは言いがたい。ただ痛みはないから苦痛の表情はまるでない。現代医学の恩恵を十分受けてかつてのように自由に歩き回ってほしいものだ。
 3桁にならんとする体重が悪いのか、セールスで車にばっかり乗るせいで運動不足気味なのが悪いのか、膝を痛めて2ヶ月前に手術した。その詳細を教えてくれるのだが、その一つ一つの出来事よりも、3週間も病院にいたことのほうが僕にはインパクトがあった。サラリーマンの彼ならゆっくりといることはできるのだろうが、自営の人間にとっては死活問題にさえなりうる。代役がいる事業所ならいざ知らず、余剰の人間を抱えている中小の企業など少ないだろうから、なるたけ健康でいたいものだ。健康を失ったときが仕事を失うときって悲劇もありうる。そんなことを考えながら、武勇伝を聞いていた。
 一番印象に残ったのは、退院して松葉杖生活の彼が食事を作れないときに妹さんが通ってきて世話をしてくれたことだが、妹さんが1週間位したときに脳梗塞で倒れたそうだ。梗塞場所が危険なところで手の打ちようがないと言われていたのが運よく日に日に回復したらしいが、その間今度は彼が松葉杖で病院に通ったらしい。50歳を過ぎての兄と妹の心温まる交流を聞いていて、うらやましく思った。辛いことが兄妹に襲ってきたものの、もとよりの絆が二人を救った。「良かったなあ」と心から言葉が出る。
 莫大な金を使ったショーで祝福してもらうのは心苦しかろう。同じ頃、ささやかに暮らしてきた兄妹が、観客のいない、誰にも祝福などされない劇を演じていた。僕はこちらの観客になりたいし、拍手も惜しみなく送りたい。