精一杯

 この数年、僕は基本的には病院の処方箋調剤にはかかわっていない。漢方薬で精一杯と言うと格好がいいが、ついていけないというのが本当のところだ。数多の薬が新しく作られ、保険診療に採用される。その1つずつを理解して覚えていくことがもう無理になった。それに比例して興味もモチベーションも無くなった。そしてそうした全ての前提に勿論、薬剤師の存在意義があまりにも小さいことがある。経済的には処方箋調剤が一番利益が上がるが、どうも僕には向いていない。  娘夫婦が忙しく薬を作っているときに、僕が処方箋患者を応対することはある。今日もある患者さんが手持ち無沙汰に薬が出来るのを待っていたので話しかけてみた。年齢からすると僕の15年後くらいを生きている人なので、どうして日々を暮らしているのか興味もあり、あわよくば参考になることでもないかなと思ったのだ。  日々どうして暮らしているのか尋ねたら、本を読むかテレビを見るかだった。定年まで都会で働いていた人だから、牛窓の景色は好きらしく、家の近くに都会からやって来た人が開いているカフェに入りびたりだったらしいが、75歳を超えてから足が次第に遠くなり、今はもっぱら家で時間を潰すらしい。本を読むといってもほとんどが小説で、難しい本は読めなくなったと言っていた。  「75歳までは大丈夫ですよ」「今でも挑戦しようと思えば行けると思いますよ」と言うのは、東京まで車で行くことだ。これには驚いたし、これこそが僕が引き出したかった言葉かもしれない。「やはり動くのが良いですね。じっとしていたらダメです。旅がいいのではないですかね」と言い始めたときに、ここまで嬉しくなる様なことを言ってもらえるとは思えなかった。実は僕は車を運転することが好きでもないし慣れてもいないから、東は姫路、北は新見、西は福山、南は丸亀辺りまでなのだ。それを越える所に運転して行ったことが無い。もっぱら電車だ。それなのに、僕のまだ遠い10年先に、軽自動車で東京まで運転していける可能性が出てきた。彼は既に20回くらい、ぶつかったら電話帳の厚さになりそうな軽自動車で東京まで行っているらしいのだ。「泊まるのはビジネスホテルで安上がりだし、食事は外で食べるのが安くて楽しみでしょう」なるほど、旅館に泊まって食べきれないくらい料理を出されてもお金を捨てるだけだ。なかなか参考になる。引退後が苦痛の日々のようには思えなくなった。  一度挑戦してみたいのが神戸だ。水族館が好きだから須磨の水族館に行ってみたい。何年か前、かの国のイルカを見て見たいという若者を2人連れて行ったが、喜んでもらえるのは嬉しいが費用対効果から言えばどうかなと、その後二の足を踏むばかりだった。もし新幹線を使うことなく行けるなら、格安ツアーになる。「慣れですよ」といとも簡単に言ってくれるから、ハードルが一気に低くなる。「後は死ぬだけですもん」とまだそこまでは達観できないが、なんとなく「まだまだ」と思わせてくれる会話だった。