見ず知らず

 岡山の人間が岐阜の薬科大学に行った。その数年前に、岐阜の人間が岡山大学の医学部に来た。当然後者のほうが数段優れている。その二人が瀬戸内の小さな港町で出会った。ほぼ半世紀後のことだ。  市民病院の分院が牛窓にあり、そこに後者は勤めていて、前者はそこから出てくる処方箋を作る。後者が漢方薬に興味を持っていたのがきっかけで、処方箋の中に記載されている漢方薬について前者が尋ねたりしたから、接触を持つようになった。もっとも、それは医者と薬剤師と言う関係だけで私的なものではない。  僕のことはよく知っていてくれたみたいで、漢方薬についてはえらく遠慮気味にいつも話された。僕は立場上、自分の想いを伝えることはしなかったが、婉曲に「先生、煎じ薬の処方箋を切ってくださればいつでもお作りしますよ」とは言っていた。それともう1つ「先生、〇〇〇以外の会社の漢方薬でも調剤できますよ。うちには東洋薬行と小太郎の漢方エキス剤も用意していますから」とこれまた婉曲に伝えていた。先生とは一度高松の漢方の勉強会で会ったことがあり、〇〇〇以外の漢方薬について興味を持っていることも知っていた。だから敢えて提案したのだが「いいですね」と言っただけで、僕もそれ以上は追及しなかった。病院と言うものは、使用する薬は委員会で認められたものしか許されないので、その壁を先生も知っていたのだろう。いいですねはほとんどため息のように聞こえたから。  結局他のメーカーの漢方エキスも煎じ薬も処方箋で出てくることはなく、分院は閉鎖された。本庁に帰ることになった先生は、どこか旅行に行ったらしくて、そこで買ったお土産を持ってお別れの挨拶に来てくれた。わずか2年の短い間だったが、漢方薬が好きなお医者さんの処方を勉強することが出来た。  今日、本院の看護婦さんがやって来て、その先生が体調を崩して病院を長い間休まれていると教えてくれた。威張りもせず、気さくに、対等に接してくれたお医者さんだから、その情報にショックを受けた。お医者さんだから病気をしないなんてことはなく、むしろ緊張を強いられる時間が長い分体調を崩しやすいだろう。入院しているとも言うから心配だ。僕の知識でお役に立てることもあるかもしれないが、それは先生のプライドが許さないだろう。役に立てるのに役に立てない、そんな歯がゆさは相手がどんな人であれ感じることは多い。「見ず知らず」医療にはこれが必要なときが意外と多い。