退廃

 40数年前、レコードのジャケットを見たときはハーフの女性かと思った。日本人離れした端正な顔で、憂いに満ちた表情は、当時の若者には手が届かない雲の上の女性のように思えた。タバコと酒で作られたのか、しわがれ声を振り絞るように歌う。その発声もまた神秘に手を貸したのだろう。  死亡を伝える今日のニュースには、シンガー・ソングライターで女優と紹介されていた。僕は歌手の部分しか知らないが、それもファーストアルバムしか知らないが、僕が彼女を卒業した後、女優として活躍していたのかもしれない。あの顔では十分女優としてやっていけるだろう。  少なくとも当時僕よりは年上だと思っていた。世の中を知りすぎた女性のように思っていた。退廃的な詩と声を絞り出す歌い方で勝手にこちらがイメージしたのかもしれないが、少なくとも僕などよりはるかに世の中を知っているだろうと思っていた。ただ、そのイメージだけで、それより先に興味は喚起されなかった。何故なら僕にはもっともっと沢山影響を受ける歌い手がいた。彼女は、ダンボール箱にしまいこんだレコードの1枚でしかなかった。  りりィ、本名・鎌田小恵子、なんて日本人そのままの名前。ふっくらとした顔。享年64歳。40数年ぶりの姿は、偶像をショッピングセンターのレジに並ぶおばちゃんにまで引き寄せてくれた。仰ぎ見た偶像は、僕らのすぐそばに40年かけて降りてきてくれた。「私は泣いてます」「ベッドで煙草を吸わないで」の2曲しか覚えていないが、今なら消防署の歌かと茶化すことも出来るが、余裕のない日々を過ごしていた当時の僕には、大人の世界を垣間見させてくれた衝撃的な歌だった。  輝きは遅かれ早かれいつか必ず失せる。一度も輝くことのなかった人生とそんなに行き着くところは変わらない。そんなことを彼女のニュースで考えた。退廃がこちらに乗り移ったか。