未熟

 己の未熟さを頓に意識し始めたのはいつごろからだろう。ずっと前からではない。むしろ最近になってと言っていいかもしれない。それまでは未熟さに気がつかないほど未熟だったのだ。年齢を重ねると、筋骨が衰え、不自由が身に染み出す。あらゆる器官が衰えているのが分かりだす。何をするのにも嘗てなら考えられないほどの労力を要する。ただ、最近気がついたのだ。意外と脳だけは衰えていないのではないかと。そして当然と言えば当然だが、毎日着実に経験を積んでいる。その中には延々と繰り返してきたこともあるし、まれなこともあるし、時と場合によっては初めてのことだってありうる。僕らはまだ日々の体験を積み重ねることが出来る進行形なのだ。そして新しい知識を得るたびに、それを知らなかった昨日が未熟に思えてしまう。僕らの年齢になってもなお新しい経験をつんだり、新しい知識を得ることができることをとても嬉しく思う。  進行形を楽しむことが出来る限り、昨日は今日より明らかに未熟なのだ。