未熟

 最近ふとしたことで頭をよぎることがある。多くはウォーキングをしている時だが、仕事中にも時にある。  数年前までは妻と2人きりで生活していたから、3階は完全に空いていた。だから、トラブルを抱えた青年達がしばしば訪れて泊まっていった。1日の人から2週間の人まで、1度きりの人から何回か繰り返した人までさまざまだ。必ずしも実際に会わなければ漢方薬が作れないと言うことはなく、直接会いたいという要求をこちらがしたことはない。全て患者さんからの要望だが、治療と言う行為をはるかに越えて、人と人のつながりが出来てとても有意義だった。  この数年それが出来なくなって、心苦しく思っている。会って悩みを僕に打ち明けるだけでも楽になることも多く、相談机をはさんで白衣を着たままかしこまったよくある風景では解決できないことの一助になればと思っていた。そんな嘗ての舞台設定をもう一度出来たらなと思うようになった。家族が戻ってきたのだから仕方ないと今まではクールに考えていたが、最近そのスタンスを維持できなくなってきた。何とかならないものだろうか、何とかできないだろうかと思うことが増えた。  この年齢になると、もう欲しいものなどなくなってくる。若いときからそうだったから、今更欲しいものなど思いもつかない。しいて言うなら・・・・しいても言えない。むしろ失くしてもいい物が増えてきて、青年期のような身軽さにあこがれてくる。大学を卒業して5年間暮らしたアパートを出るときに、牛窓に送った荷物が布団袋1つ分だったあの頃に戻りたい。熊本の映像を見てその思いに再び火がついた。  多くの物を捨てて、再び青年達を招き入れる空間が作れたらいいのにと思う気持ちが徐々に強くなり、アイデアが頭に浮かぶことが多くなった。決断すればすぐにでも実現しそうな物件があるのだけれど、とても家族の理解が得られるようには思えない。老後にどのくらいお金が必要なのかわからないが、自分に使うお金では人様の役になど立てれない。アホコミに取り上げられるヒーローには僕たちはなれないが、手を伸ばせば届く範囲くらいなら「世の為人の為」の真似事くらいは出来る。  決断できない自分の未熟さを嘆いてばかりだが、残り時間が無限にある自分ではなくなっている。誰か背中を押してくれないかなあ。