田舎に住んでいるのに素人だから、単語にもついていけないのだが、思い出しながら書いてみる。
元は田んぼや畑だったところに背丈以上に草が生え、それが冬は枯れていて、余計寒々しい。単に田畑が荒れていると言うだけでなく、町や村が荒れているように見える。その割合が年々高くなり、人の心と同じ荒涼とした景色の前に未来を感じられない。これは牛窓に限ったことではなく、全国で広がっている光景だ。
そんな中で希望が持てるような話を聞いた。2人ともよく知っている人なのだが、薬局の中に閉じこもって仕事をしている僕には彼らを目撃するチャンスはない。そんな中、薬の話からの延長で2人がとてつもない広さの畑を世話していることを知った。1人が世話している畑を合わせると9町あると言っていた。町と言う単位が分からないからどれくらいかと尋ねたら、又反とか何とか分けが分からない単位で説明されたから結局分からなかった。そこでインターネットで調べてみると、1町は3,000坪 9,900m2らしい。と言うことはその9倍の広さの畑を耕していることになる。数字と実感が連動しないが、同じお百姓がその広さを聞いてびっくりするのだからかなり広いのだろう。
彼等がそれだけ責任を持って世話しているのは、彼等に託した人たちがいるということだ。後継者がいない農家は多い。そのため農地は荒れ放題だ。ただ気心が知れた同じ牛窓の人なら、田畑を預けてもいいと言う人は多いらしい。先祖から受け継いだ田畑を荒らすことには多くの農家の人は心を痛めているのだ。だから、盗られる心配がない人には預けてもいいそうだ。以前からそうしたらいいのにと思っていたが、実際にはその流れができていた。先日母の里を訪ねたが、牛窓なんかよりはるかに荒廃した里を多く見た。牛窓に現れたような、従業員を雇い大規模に耕作する人がどの町にも現れるべき。そうすれば田や畑を獣たちからも守れるし、天災にも強くなる。
去年の長雨、相次いだ台風で畑が流され、肥やしが流され、今年の野菜は貧弱だ。おまけにこの寒波で出荷は減るし、値段が高騰して消費者が悲鳴を上げているとアホコミは言う。それがどうしたと僕は言いたい。命を養う作物を、自分の身体を道具のように磨耗させながら作っている人にもっと収入を増やしてもらってもいい。その人たちは、或いは田畑の風景は、里山の空気は、都会の人間を含めて日本人の心を安定させ続けてきた。その功績を、何にも置換されることが出来ないからその功績を評価する人はいないが、何物にも換えがたい価値だと思う。農村が、山が荒れるに比例して日本人の心も荒れて来たのだから。
いつか又多くの人が農業に従事して、この国の人の心と原風景を守ってくれることを願う。