本末転倒

 なんていう荒涼とした風景なのだろう。冬で草が枯れて、そう見えるだけではない。枯れてもなお立っている草の背丈は僕を優に越えている。恐らく伸び放題で、嘗て米を作っていた田んぼが全て耕作放棄地になっているのだろう。30年前には少なくとも10面以上の連なった田んぼで全て米を作っていた。夏の墓参りには青々としていて、田んぼの上にある15メートル四方の池もそれらを潤すのに十分の水を溜めていた。昭和の初期、幼かった母が泳いでいたというその池は今、ほんの少しの濁った水を溜め、倒木と枯葉を幾重にもをまとい生き物も住むことは難しそうだった。
 この10年くらい、思いついたら訪ねるくらいの母方の墓は、里と山との丁度境目にある。農道を車で入っていってもUターンに困りそうな場所だ。その道を県道からお墓まで上るのに100メートルくらい歩かなければならない。その間、両側は草茫々で夏なら蛇が出てきそうで通りたくない。30年前なら全ての田んぼが稲を作っていた。10年前でもある程度は作られていたはずだ。そうでないと今日みたいに強烈な印象で田んぼが無くなった事に気がつかない筈だから。10年前には叔母を、この数年は母を見舞うために毎週のように通った道の上だが、県道を走っているだけでは気がつかない。一歩足を踏み入れればこの有様だ。耕されている田んぼや畑よりずっと多いように見える。農業を生活が出来る産業に育て、荒地をもう一度農地に戻さないと食料自給率も上がらないし、治水も怪しくなる。アメリカに言われ高額なミサイルなどを買うお金で十分その為のお金は出る。国土を荒らしてまでミサイルを持つ意味があるのか。順番が違う。本末転倒だ。
 玉野市から牛窓に帰り、今度は我が家の墓参りに行った。牛窓は畑作が盛んだから、玉野ほどでもないが、やはりあちこちに手がつけられないほどの荒地が存在している。まだまだ田舎の牛窓だから人の情は十分残っているが、世をリードするエリート達の心と置き去りにされる田舎の田畑の両方の荒れ方に心を痛める。