倉敷天領太鼓

 どうして鼓童は、あんなにしょうもないことをするのだろう。聴衆は民謡か日舞か知らないけれど、そんなものを聴きに来たり観に来たりしているのか。いみじくも主催者と思わしき人が締めの舞台挨拶で「昔の鼓童が聴きたかった、だからそうした選曲をお願いした」と言っていた。恐らく多くの聴衆が同じことを思っているに違いない。特に第2部は全部鼓童が独占したから、期待も大きかった分失望も大きかった。僕は12月の岡山公演に続いて2回連続で期待を裏切られたことになる。今日も前回同様、最初から最後まで省エネがにじみ出ていた。もう嘗ての鼓童はないのだろうか。嘗ての栄光だけでいつまで観客を集められると思っているのだろう。  それに引き換え、山部泰嗣と山田瑞恵のユニット、倉敷天領太鼓、大野原龗王太鼓、ゆふいん源流太鼓の真摯さはどうだ。肉体の極限まで太鼓を打ち鳴らす。彼らが出演した第一部の充実振りは圧巻だった。帰国するかの国の女性達に最後のお土産と思って連れて行ったのだが、耳が3年間で肥えているにもかかわらず圧倒されていた。誠心誠意は、ひたすらさは、簡単に国境を越える。  僕は和太鼓に興味を持った頃、確か倉敷天領太鼓のコンサートに行ったことがある。ところがそれ以来、この団体が単独でコンサートを開いたことを知らない。今日聴いてみて実にもったいないと思った。岡山県では備中温羅太鼓がぬきんでているように思っていたが、倉敷天領太鼓は全く劣らない。むしろ趣を異にするから、両雄と言っていいのかもしれない。ただ、備中温羅太鼓は企画力があり、年に2回くらいどうしても総社に足を運びたくなる。願わくは今日の圧巻の演奏を毎年単独コンサートでじっくり聴かせて欲しい。