備中温羅太鼓

 コロナが流行り出して、運よく2回くらいは和太鼓のコンサートに行けたのだが、今回はやっと本格的な再開と言っていいだろう。何回かチケットを買っては払い戻しを受けたので、ひやひやものだったが、会場のソーシャルディスタンスもなかったので、人の心もやっと呪縛から放たれたのだろうか。元々そんなものがなかった僕にとっては、失った2年が甚だもったいない。どれだけの感動の機会を失っただろう。楽しみを奪われて免疫もかなり落ちたに違いない。
 昨日の倉敷芸文館は、備中温羅太鼓のコンサートと骨董市が重なっていたので、駐車場は空き待ちの長い列だったが、何度も訪ねたことがある街だから、穴場の駐車場を知っている。芸文館の駐車場は待ち時間30分は覚悟しなければならないなと判断したので、アイビースクエアの駐車場に行ってみた。すると余裕で駐車できたので、その時間をそれこそ骨董市に費やすことが出来た。
 と言っても僕は全く興味がない。興味があったのはむしろそれらの店を集めてお祭りのように演出する方だ。規模は違うが、ドッグランの広場を使って何か面白いことが出来たらいいなと思っているので参考にしてみたかった。
 人それぞれだなとつくづく思った。古臭い時計や陶器など、僕だったら捨てて処分するようなものが並んでいた。20近くの店舗が出ていて、それぞれ多くの見学者が店頭を埋めていた。「こんなもの」を食い漁るように品定めするのかと不思議だったが、「こんな音」を食い入るように聞く僕もきっと同じ穴の狢だと納得し、ひとそれぞれになんだかほっとした。
 備中温羅太鼓は、岡山県では技術的には先頭を走り続けているが、なにぶん打ち手不足は隠せない。人口減のあおりをもろ受けているのが透けて見える。僕の和太鼓の原点だから、かつてのような迫力を取り戻してほしい。子供の温羅太鼓の人数が多いのが救いだし希望だ。
 そんな数による迫力不足を補うためだろう、最近は有名なプロ集団を招いてのジョイントコンサートが多い。昨日も愛知県を中心に活動している「まといの会」を招いての共演だった。若い人ばかりの集団でリズミカルな曲を力強く打ち、会場を感動の嵐に巻き込んでくれた。もうそろそろ僕も和太鼓の追っかけから卒業かなと思いながらのコンサートだったが、まだまだお宅でいようと決心させてくれた。
 20年近く、ほとんどのコンサートがベトナム人を連れてのものだったから、本当に珍しく一人で聴きに行った。道中も到着してからも何ら気を遣うことがないから自由だった。その代わり会場の中では何だか寂しかった。感動を共有できないのは、こんなにテンションが下がるのかと最初は思ったほどだ。曲が進むにつれ集中して楽しんだが、帰りの運転は祭りの後の寂しさだった。
 午前中の司教様のミサ、午後は一人で和太鼓のコンサート。最終章の僕の人生の始まりを意識した1日だった。コンサートのように僕にはカーテンコールはない。緞帳が下りれば終わりだ。人気のない会場を僕の魂だけが彷徨うのだろう。

れいわ街宣(2022.6.24 新宿駅南口)佐藤タイジさんの熱い演奏とトークです - YouTube