人目

 岡山方面から牛窓に入った辺りに結構長い坂がある。峠を上ってからSの字に下っていくのだが、道路の左側、つまり山側は人の手が入っていなくて、草が道路上にはみ出してきて、視界をかなり奪う。もし左側を人が歩いていたら、直前まで見えないのではないか。幸い反対側に歩道があるから人はまず通らないが、牛窓を知らない自転車人なら、規則どおり草に身体を打たれながら下っていくと思う。  これは牛窓だけの問題ではない。嘗ての手入れされた状態を知っているからその放置されようが手に取るように分かるから例としてあげただけで、日曜日、色々なところに出かけるが、同じような光景を目にすることは珍しくない。そしてその荒れようは一歩踏み込めばもっとすさまじい。畑が既に山に帰っているのだ。嘗ては段々畑だったところが、道路から山の頂まで、ふっくらと曲線を描いている。雑草や、いやいや木までもが十分成長している。夏など恐ろしくて足を踏み入れることは出来ない。  これだけ荒らせば、けものや爬虫類の楽園になるだろう。それと同時に、人間の気持ちも並行して荒れているに違いない。その光景に何も感じないとしたら、自然と調和して生きることを既に放棄しているのと同じことだ。ロボットのような人間だ。  この町でも、必要のない病院が建設される。国立競技場の愚行の田舎版だ。無能な人間を長に持つとろくなことがない。失政を理由に刑務所にでも入ってくれるなら何をやってもいいが、責任を取ったという人間をいまだ見たことがない。アホノミクスのように、憲法を破るような人間が、打ち首獄門にならないなら、わずか3000円で法務省に1年半も出張した僕の友人は、名誉を回復されてもいいくらいだ。わずか3000円で人目を気にしながら生きるくらいの誠実さを、馬鹿長達も持ち合わしてみろ。  あの草に視界をさえぎられ、ある人は加害者に、ある人は被害者に。馬鹿長たちが被害者にならないと、草は刈られないか。アホ議員たちの息子の肉が砲弾で飛び散らないと、憲法は守られないか。