朝の楽しみ

 もう10年近く朝のウォーキングを続けているが、鳥のV字飛行を見たのは初めてだ。僕の縄張りから見える空は、北にオリーブ園があるので、4分の3くらいだろうか。と言うことは結構見えるって事で、特に南は海だから、遠く四国の山の頂より上が全て見えることになる。そんな広い空を毎朝見上げながらV字飛行を見ていないのだから、V字飛行自体が珍しいものなのかもしれない。  何の鳥かわからないが、30羽くらいいただろうか、結構迫力のある飛行隊が西から東へV字を描きながら飛んでいった。それこそ縄張りからは初めての光景だったから、その飛行を感激気味で目で追っていた。すると今度はちょっとだけ小さい飛行体が、南寄りに、しかしはっきりと同じ目標に向かって飛んでいくのが見えた。まるで二等辺三角形の航路を頂点に向かって飛んでいるようなものだ。そしてこれはちょっと間をおいて、10羽くらいからなる小さなV字が、これもまた東に向かって飛んでいった。これで終わりかと思い空を見ていたら、なんと今度はたった3匹でV字を作って東を目指して飛んでいった。この間5分くらいの出来事だっただろうか。  もう15年位前、娘を乗せて高校受験のために車を岡山のほうに走らせていた。ある峠を上って下り始めたとき、正面の空に鳥たちのV字飛行が見えた。「娘は合格する」あの珍しい光景を見て僕はすぐに確信した。そして結果は期待通りだった。当時僕はあの光景を幸せを呼ぶ光景に決めていた。ところが今朝は鳥たちの行動を見て、東に向かって逃げているように見えた。何か西のほうで起こるのではないかと思ったのだ。同じ光景を見て片や希望を感じ、片や不安を感じる。  その理由は簡単だ。当時はまだ上り調子だったのだ。だから何かに付け希望を抱くことができたが、今は違う。今は全てにおいて終焉に向かっての下り坂だから、希望的観測などできないし、敢えてする必要もない。V字飛行がきれいだとか勇壮だとか、そのものの評価をすればいいのに、陰に隠れているものをわざわざ探したりする。  こんなことを考えながら帰宅してテレビを見ていると、ある大学の教授が来年中に、九州と秋田県沖で津波を伴う地震が起こるといっていた。となると九州の説が僕の勘と一致する。確たる証拠を示されないと、一刀両断で切り捨てる合理的なところを持っている僕だけれど、年齢を重ねると不合理の中に何かを見つけようなどとする傾向が顔を覗かせるのだろうか。  朝の楽しみが又一つ増えた。