誤解

 今帰ってきた。午後の11時を回っているが、こんな時間に外にいたのはかなり珍しい。ひょっとしたら、いやいつからだろうと考えても思い当たる記憶にたどり着かない。僕にとっては珍しいところで時間を過ごした。7時半に薬局を閉めてから2箇所回ったのだが、かつての記憶やテレビなどで見た映像とかけ離れていたので、誤解だけは解けた。  脂っこいものを食べると決まって深夜に背中が痛くなって目がさめるのがいやで、自然と控えるようになっている。おかげでそういったものを若い時のように食べなければ不快症状で深夜目覚めることはなくなった。だから今日も焼肉店に誘われたときにはどうでもよかった。常日頃から焼肉を食べたいとは思わないのでモチベーションは低かった。ただ実際目の前に美味しそうな肉が運ばれ あの例の男性的な香りが鼻くうを満たし始めると、俄然動物の血が大脳を駆け巡り肉食獣と化した。なんとなく油が壁や床やテーブルにこびりついた様子を想像していたが、店内はきれいで洗練された若いウエイトレスが活躍していた。  その後向かったのはカラオケ店だ。初めて足を踏み入れたのだが、ここもまたきれいで不快なことはなかった。従業員も洗練されていた。ただ僕はカラオケそのものがいやだから、いくら想像していたよりもきれいだったとしてもテンションは結局は上がらずじまいだ。とてつもなく上手な人の唄も聞いたし、とてつもなく下手な人の唄も聞いたが、やはりプロの唄にははるか及ばなくて、それをじっと聞き入るとか、拍手をするとかは耐えられなかった。カラオケは人に聞かすところではいと言う持論は帰りがけにも崩れなかった。部屋の中の簡素な調度品がまるで刑務所の中のように見えた。  敢えてしようと思わないことは敢えてしなくてもいい。飲みたくない水を「空桶」に満たしても、それで満たされたとは言うまい。