新見SONG巣城山うたの種コンサート

 このシチュエーションは何度経験しても苦手で、涙が溢れてくる。岡山駅の、それも連休中の夕暮れ時に、改札口で涙ぐんでいる中年男性など様にならないだろうが、やはりハンディーを抱え懸命に生きていこうとしている若者を見送るのは辛い。傍にいるだけでどのくらい力になれるか僕は多くの若者と接して分かっているから、一人荒海に帰すのは気が重い。  ほとんど我が家が受け入れてきたのは過敏性腸症候群の若者だったが、今日の女性は違う。かの国からやって来て奈良県の大学で学んでいる。ただ、かの国と我が国とでは格段に貨幣価値が違うので、苦学を強いられている。勉強は授業中に全て頭に入れるようにして、その他の時間は授業料や生活費を工面するためにアルバイトに励んでいる。授業かアルバイトしか彼女たちにはない。特に貧しい家系の出身者はまさに身を削って働いている。そして彼女は本当に身を削ってしまったのだ。  一つは一生薬で抑え続けなければならない病気。一つは国に帰らなければならないかもしれない病気。この2つを抱えて、それもどちらも日本に来てから発病したものだが、深夜のアルバイトを来る日も来る日も続けなければならない状況で回復するはずがない。一昨日急遽訪ねてきたいと連絡があった時、僕は帰国を覚悟して別れの挨拶をしに来るのだと思った。  昨夜邑久駅の改札口で彼女を迎えたとき、僕と会った喜び以上に苦痛の表情が見えた。症状を聞いているうちに、それが今治療のために服用している薬の副作用ではないかと思った。そんなこと想像もしないその子は、又一つ病気が増えたと暗い気持ちになっていたのだ。言葉や習慣の違いで、又知識不足のために今の治療に主体的に関わることが出来ない。副作用と思われると書いた手紙を主治医に渡すようにその女性に持たした。もしそうならあの不愉快そうな表情が顔から消える。  今日は偶然、毎年恒例の新見でのコンサートがあったので、その子も連れて法務局帰りの友人と3人で片道3時間半の距離を出かけた。本来なら2時間半くらいで行けるのだが、渋滞に巻き込まれその時間となった。昨夜大阪から山陽本線でやって来て、今日又6時間近く車にゆられた。体調を心配したが、昨夜の不快症状は全て消えていた。手を伸ばせば届きそうな新見の空が癒してくれたのか、山の向こうに又山があり、その又向こうに又山が見える、県南の人間には珍しい風景が癒してくれたのか、5回目を迎えた新見SONG巣城山うたの種コンサートの出演者達が随分と落ち着いた雰囲気を醸し出していたことに癒されたのか、道中法務局帰りのギャグ名人に癒されたのか分からないが、体が不思議なくらい軽かったらしい。そして昨夜は見ることが出来なかった以前のはにかみ気味の笑顔に沢山触れることが出来た。今夜は山陽本線で広島の友人を訪ね、明日は奈良まで山陽本線で帰るらしい。恐らく明日は8時間から下手をしたら9時間近く電車に乗ることになる。病気を二つも抱えてそんなことはさせれない。我が娘にさせれないことを大切な若き友人にさせることは出来ない。絶対新幹線で大阪まで帰ることを約束させて妻が切符代を包んでいた。プライド高い彼女たちだが、今回はこちらの心配顔に圧倒されたのか受け取ってもらえた。  僕も友人も絶対に合わない岡山駅のレストランで夕食をとった。かの国の女性も、友人も「たのしかった」を連発してくれて今日一日が報われた。法務局帰り故孤立して暮らしている友人、病気と共存して懸命に働き学んでいる女性。どちらも存在に味を持っている。