哲学

去年の反省を教訓に、雨で土が軟らかくなった後を見計らって、早朝からの草抜きに余念がなかったおかげで、ずいぶんと駐車場はきれいになった・・・・と自負していたら、昨年見かねて草を丁寧に抜いてくれた男性が、今年もしてあげようと言ってくれた。 ありがたい申し出だったが、今年はちょっとした魂胆があった。草を抜く代わりに、今夜キッチンかいぞくで行われるコンサートの入場料を払ってというのだ。そのコンサートは1週間くらい前に彼から教えてもらっていたもので、せっかく牛窓で行われるのだから、頭数で聴きに行こうと決めていた。その紹介してくれた張本人が入場料1500円を払ってくれと言う。僕はその男性が好きだし、時々野菜のおすそ分けを持ってきてくれたりするから、当然のように彼の意に沿った。ただ草抜きは断った。まったくの善意でやってもらえるなら甘えたかもしれないが、大の大人に、わずか1500円の報酬で草を抜いてもらうのはあまりにも心苦しい。おごらせてもらうのが一番自然だし、抵抗がない。 1500円のライブ代が出ない彼に「○○君、大丈夫なの?貯金はいくらしているの?」と単刀直入に尋ねてみた。好奇心なんてものではない。本気で心配だったのだ。すると彼はしっかりと通帳の残高を把握しているみたいですぐに答えた。「300円」 いったい何時代に彼は生きているのだ。明治なら大金持ち?あきれはしなかった。正直うらやましいと感じた。僕らは将来に備えて、あくせくと働き、いざという時のために貯金にいそしむ。いつも何かにおびえるように気を配り、石橋を叩きながら生活している。それに引き換え彼の潔さや、思考の身軽さはどうだ。失うものがないことが本当の自由と唄にも歌われているが、彼はそれを地でいっている。「明日、○○さんの家の草を抜くのを頼まれているから3000円手に入る」と悠然としている姿はほとんど天晴れだ。 彼の今の生活が望んで得たものでないことは知っている。ただ自業自得も究めればまるで哲学のように見える。、