よかった。昨夜のライブでの僕の印象が、的を射ていないのかと心配していたが、そうでもないらしい。 昨夜一緒に聴きに行った友人が今日やってきた。昨夜の入場料のお礼なのだろうが、僕の興味はむしろ彼がどんな印象を持ったのか聞きたかった。僕と同じように割り切れないものを感じながら聴いていたのか、それとも音楽好きだからノリノリで聴いていたのか、そのことが知りたかった。 ところが彼は薬局に入ってくるなり、僕が何も尋ねてもいないのに「あんなもんじゃろう」と言った。どんなもんじゃろうと思うが、やはりあんなもんじゃったのだろう。それなら僕らの意見は一致したってことだ。 僕が思ったのは、歌詞がほとんど聞き取れなかったってこと。だから何を唄っているのかわからないし、何を訴えているのかもわからない。外国語の歌を聴いているのとなんら変わりない。どうして言葉をもっと大切にしないのかと思った。それとどうも身内、何の関係か知らないが、それらと勝手に盛り上がっているだけで、唄だけを目的に訪れた人間にとっては居心地が大変悪かった。部外者が訪ねていったのだから当然といえば当然なのだが、まるでカラオケで盛り上がっている所に偶然顔を出したような感じだった。 僕が最後まで結局その場にいた理由を彼に言おうとしたらこれまた、彼のほうが先に口を開いた。「昨日は、赤田さんがいたからもったんで!本当なら途中で帰るところじゃった」まさに同感なのだ。即興ジャズの赤田晃一さんがライブに助っ人で来ていて、3組の出演者のすべての曲に即興で参加してくれた。まさに赤田晃一のサックスが二人を慰めてくれたことになる。  現代は、いとも簡単にUチューブで世界的な音楽を無尽蔵に聴くことが出来る。僕らは簡単に世界最高峰の音楽に接することが出来るのだ。それで肥えた耳は、なかなか素人の楽しみだけの音楽には耐えれない。どのグループもかつての僕らよりはるかに上手だが、時代には味方されていないと思った。よほど上手でないと、比較対照されるものがあまりにも多くて、並か並以下になってしまう。 僕はもうずいぶんと長い歳月、和太鼓を追っかけてきた。彼らの印象は猛烈な練習量と礼儀正しさだ。舞台では楽しさを超えた苦痛の表情で真摯に演奏している。僕は最近、音楽などを評価する際、和太鼓から得た印象を基準にしてしまう。あの真剣さが昨日のライブに出ていればもっと楽しかっただろうにと悔やまれる。