善人

自分でやってからその行動に気がついた。 この数日、マスコミは倉敷の児童の行方不明事件で持ちきりだった。聡明そうな顔写真を何回も見ているから、思い入れも増幅していたのだろうが、実は事件現場辺りは10数年前に、息子と娘が同じアパートで暮らしていて足しげく通ったところで、土地にも思い入れがあった。だからニュースで伝えられることが容易にイメージできるのだ。地元とはいえないが、大いに関係深い街で起こった事件ということになる。 車のナンバーを覚えていた人がいたから、早晩犯人はつかまるだろうと思っていたが、それでも昨夜、児童が無事に救出されたというニュースを聞いたときは、思わずガッツポーズをしていた。好きではないが、まるでサッカーの日本代表がゴールを決めたときのような衝動的な行動だった。ガッツポーズを決めてからそのことに気がついたが、自分でもその行動が解せなかった。別に悪いことではないが不謹慎のような気がしたのかもしれない。 今朝朝刊を呼んでいて、同じ学校に通っている児童のお父さんが、記者の質問に答えて「思わずガッツポーズをしてしまいました」と答えているのを見つけた。何だ同じことをする人間がいるんだと、昨夜からの引っ掛かりが一気に取れた。 最高の結末は、子を守る母親の愛情の深さや、ナンバープレートを張り替えていたのを見て、下側の番号を覚えていたという住人の知恵によるところが多いと聞く。傷つくべきではない善人たちを守るのもまた、善人の側にいる人たちの知性と勇気かもしれない。