便乗

 サングラスをはずせば結構魅力的な顔をしているのに、隠したがる。その岡山弁を隠せばいいと思うのだが、流ちょうに、臆面もなく、そして華麗に使う。それが又魅力的なのだが、どうも自分に対して自信が持てないみたいだ。  最近岡山弁で通している人が多くやってくる。結構若くて魅力的な女性に多い。僕はそのギャップがとても好きで、又、そう言った人は裏表をあまり感じないから応対していて非常に気持ちがよい。こちらが気持ちいいくらいだから漢方薬もよく効いて、いつの間にか他の体調不良でも良くやって来てくれる人達になってしまう。  話が脱線したが、その女性は何があったのか知らないが、かなりの不快症状で2年くらい通院していたらしい。1回分が3桁のg数で、僕らからすれば生薬を浪費しているような処方を病院でもらって飲んでいたが、飲めば飲むほど体調が悪くなり、挙げ句の果ては「漢方薬が効かないのはあんたが悪い」と言われる始末で、何処でどう僕を見つけてくれたのか3ヶ月前から通ってきてくれている。  日本中どこでも同じだが、川に沿って北上すると結構怖いような箇所を通ることが多い。そこを運転することは彼女にとっては恐怖の沙汰らしい。長いトンネルも彼女は又苦手としている。甥のコンサートのために県北のある街に行ったのだが、道中でそれらの恐怖をほとんど意識しなかったらしい。その上、コンサートホールで階上から1階席を見ると足がすくんでいたそうだが、そして人の腕を掴んで移動していたらしいのだが、そこでも又恐怖が意識に上ることなく平然と行動できたらしい。僅か20gの薬草で彼女の閉所恐怖症や高所恐怖症も改善した。もっともそれが中心の訴えではなく、より生活に支障がある訴えを治療していたのだが、そちらの方も勿論多いに改善して、毎日が楽になっている。 最初は怯えたような、地に足が着いていないような態度だった人が、今はいい笑顔も出てとにかく空気が軽いし、動きも軽い。会社でも信頼を取り戻しているのではないか。職人しか持っていないオーラも出てきた。こうした変化に立ち会えるのは本当に幸せだ。この歳になって僕自身が幸せを感じることが出来るのは、情けないけれど、こうした他者の幸せに便乗出来たときくらいなものだ。他者に喜んでもらえる、それに優るモチベーションはない。  歳をとっていいことの一つは、他者の小さな個性を心から評価できること。誰もがそれぞれの個性で輝いていることを見つけ上手になったこと。そして、それぞれの個性を尊重し、とても愛おしく思えること。あっ、三つだ。