食欲

 ごく普通の食生活さえすれば、僕の所にやってくる必要はないのだろうが、持って生まれた食欲か、持って生まれた卑しさか知らないが、縁が切れない。むちゃくちゃな食生活のくせに、病気にはひどく敏感で臆病で、その乖離が個性を際だたせている。  僕より随分年上なのに、食べている内容と言えば若者のままだ。僕などそのメニューを聞いただけで胃がもたれそうなのに、毎日その種のものを食べている。当然その結果、ありとあらゆる血液検査の指標が悪くて、内科の薬も欠かせない。ただ余りの食欲の豪快さに現代薬も歯がたたず、漢方薬の出番が多い。東西の英知を結集して彼の食欲禍と闘っている。  漢方薬を作るのに立ち話で十分だ。町内の人だから気楽に漢方薬を取りに来るからほとんどカウンター越しで落着する。ところがその日は僕が疲れていてテーブルを挟んで腰掛けた。するといつもは同じ目線にある彼だが、ひどく僕が見上げるようになった。そして横幅も僕の倍くらいあるように迫ってきた。「○○さん、太ったのではないの?」と尋ねると「分かる?」と答えたから当然「分かる」と答えた。これだけ太れれば基本的には元気だ。体調が悪いときに、安定剤などを服用していることを除けばなかなか太れるものではない。「なんキロあるの?」と尋ねると「87kg」と答えた。「おしいなあ、もう3キロ太って90キロの大台に乗せようよ」と励ました。照れながら笑っている彼にもう一押し勇気を与えた。「ギトギトギッチャンのものを沢山食べて、ギトギトギッチャンになれば人生太く短く生きられるよ」と。こんな応対をすれば普通なら二度と来ないだろうが、きっと今週中には又来るだろう。つくづく田舎で薬局をしていて良かったと思う。いくら僕が都会的に洗練されているにしても、そう思うづら。