徒労感

ある神父の文章を毎月送ってくれる。今日来た文章の中の一部。

 ある国立大学の医学部1年生に講義をさせてもらった。「全人的ケア」の必修科目の中で「スピリチュアルケア」がテーマだった。必修科目しかも3時間(9時~12:10分)の講義であった。そのため、学生の積極的な参加を促すように講義中「講義に対する関心度合い」「人生の意義」「人生の目標」のワークシートを配布し記入してもらった。こうしてもある学生たちは途中で何度も寝てしまった。最後にわたしは「それでは講義を終わります」と言った後、学生から何の反応もなかったことに驚いた。今までに講演や特別な講義を年に数回させてもらうことがあるが今回のことは驚きだった。ちなみに担当教員は、学生が最後に頭を下げ、それがお礼の形であることを説明してくれた。そうであってもわたしには彼らの態度は意外に感じられた。将来の医師とはこういうものであろうか。幼稚園は別として、高校を卒業するまでの12年間の教育は何であったのか。この講義を受講に来た50代の婦人は「学生の学ぶ欲求のない態度に驚いた」ということばはわたしの気持ちを反映してくれる。

 優秀な人物の集まりを前にした神父の徒労感が伝わってくる。恐らく共通して優秀なのは受験テクニックだけで、その他の知性や人格は人それぞれで、受験で勝ち得た結果と必ずしも比例するものではない。寧ろ神父が感じたように、受験の果実とは反比例しているのかもしれない。医者の卵にしてこれだから、そのほかでも同じようなものだろう。いや寧ろそのほかの方が精神を大切にしているかもしれない。高尚な言語を用いなくても日々の生活で体感的に身につけているかもしれない。そもそも敢えて学ぶことでもないのかもしれない。  他の優秀を気取る集団がこの国を食い物にしている。よその国でもおおむね同じようなものだろう。嘗て飼い犬を殺された恨みを成人してその集団にいる人間に果たした人間がいたが、今年土地や仕事や社会や家庭を奪われた人達は後々どの様な行動を取るのだろう。一匹狼の牙でも世の中を震撼させることが出来るのだから、もし恨みが群れを成したらどの様な逆襲が起こるのだろう。物言わぬ民と侮っている奴らにどんな反撃に出るのだろう。その引き金は恐らく数年後、幼い子供を持った家庭からひかれるだろう。言われ泣き幼子の苦痛を誰も受容できるはずがないのだから。  歯がゆさの中で季節だけが巡る。