新幹線

 「新幹線に乗れた」初めてのお使いではない。田舎の人の話でもない。後進国から来たいわゆる研修生の話ではない。れっきとした若い日本人女性で、おまけにかなり優秀な人で、ひょっとしたら将来大学の先生にでもなるかもしれない人だ。(それは僕の希望かもしれないが)そう言うと本人も否定しなかった。研究者か高校の先生くらいなら確実になれるだろう。そんな彼女が体調を報告してくれたときの言葉なのだ。 過敏性腸症候群の人にとって、新幹線に乗ることは高い壁なのだ。そうでない人にとってはなんでもないこと、いやむしろ楽しみなことなのだが、彼ら、彼女らにとってはなかなか越えることが出来ない壁なのだ。実際僕の漢方薬を飲んでくれた850人くらいの過敏性腸症候群の方の中で、新幹線には乗れないと言っていた人は結構いる。それが治るにしたがって、座席に腰掛けて旅行をしたなどと報告してくれる。敢えてそんなことを教えてくれること自体が、高い壁だったことを余計伺わせる。  人にはそれぞれ立ちはだかる壁があり、多くは青春期に遭遇し、ある人は克服し、ある人は一生それと付き合う。僕の仕事はその壁を克服することを手伝うことだが、体調はもとより心の持ち方まで及ぶから、自然の力を借りることなくして目的を達することなど到底出来ない。職業柄漢方薬を大いに利用させて貰っているが、自然はそれだけではない。空気も水も食べ物も、又空も海も川も草原も、田畑までも利用し、笑うことも泣くことも怒ることも、尊敬することも軽蔑することも、人の心の自然な営みとして利用している。心?の病気は不自然の中ではなかなか克服できないし、不自然な心では克服は出来ない。分不相応の仮の姿で治るはずがない。強さも弱さもほどほどの軟体動物でいい。鋼のような精神や肉体は、ポキッと折れてしまう。折れるよりは撓(しな)りながら、生きていきたいものだ。