電友

 この数年、僕が一番会いたかった女性に今日会えた。四国にお子さんを連れて里帰りする途中岡山駅で1時間あまり話をすることが出来た。今カルテを拡げてみると、この春で6年目の付き合いになる。過敏性腸症候群が治り安くもあり、治り難くもありって事を体現してくれているような人だ。  彼女は電話派だから、何があっても電話をくれる。彼女の声と分かるのに1秒も要しない。もう何回、いや何百回話をしただろう。越えがたい壁が現れたときは現場からリアルタイムで電話をしてくる。けたけたと屈託なく笑うくせに繊細な心をしていて、その不釣り合いなバランスが、恐らく彼女の魅力なのだろう。郵便局、美容院、歯医者、外国旅行、お産、入学式、卒業式、コンサート。ほとんどを克服したのに、克服できるという事実を克服できていない。  東京に住む田舎者の遺伝子がお子さん達に受け継がれているのか、2人の男の子がとても感じよかった。お兄ちゃんはわざわざ東京から釣り竿を持って里帰り。途中ご主人の田舎で釣ったり、四国でも釣るらしい。家の近所の池で釣りをすると言うから、東京にも自然があるんだと、少年に教えてもらった。見ず知らずの僕を警戒気味だとお母さんはそっと教えてくれたが、最初からとても楽しく話が出来た。下の4才の男の子はそれこそ無邪気で、天真爛漫だった。お母さんが過敏性腸症候群のために飲んだ薬で、妊娠しやすくなって出来たお子さんだ。漢方薬のすばらしいところで、患部を狙うのではなく、心身共に元気になるって至極当然な目的のための処方だった。  「幸せじゃないの」何回かこの言葉を僕は口に出したと思う。こんな素直なお子さんに恵まれて、それ以上の幸せはないと思った。十分すぎるくらい幸せだと思った。僕は子育て世代のお母さん方をとても美しいと思う。崇高な大事業を成し遂げつつある生き生きとした姿が美しい。優しくもあり、たくましくもあり、色々な人格を積みあげている。  どんな女性だろうと、とても興味を持って迎えたが、駅で一言声を聞いただけで、もう旧知の間のようになり、久々に帰ってきた妹を迎えるような感じで少しの時間を楽しく過ごせた。年のはなれた妹が、子供を2人連れてきたようなものだ。「何かの縁」としか言いようのない、ある雨の日の出来事だった。