普遍

 お母さんに似ていたら文句なしに可愛い子になる。お父さんに似ていたら・・・ この夫婦は、律儀によく訪ねてきてくれる。職業柄、病気が治ればそれっきりでいいのだが、ご主人の実家に帰る途中寄ってくれる。県外からの帰りだからこの余分な距離も負担だろうと思うのだが、若いからか律儀からかよく訪ねてきてくれる。  今日は10ヶ月になる赤ちゃんを連れてきてくれた。送ってくれた生後数ヶ月の頃の写真と年賀状で見ているからだいたいの顔は分かっていたが、母親似でさすがに可愛い顔をしていた。性格も良さそうで僕を見て何度も笑ってくれた。穏やかな表情はしばし僕たちの心を慰めてくれた。親子3人を見ていて、幸せってのはこんなことを言うのだろうなと、今は昔を思い出していた。  お母さんは過敏性腸症候群を克服した人だ。何も出来ないから、これも出来た、あれも出来たで今の幸せを手にした。治りたい一心で、いやいや藁をも掴む想いで連絡をくれたのだが、今はそれも懐かしい。彼女は、誰もが治って大きな幸せを掴むことが出来る良い見本なのだ。苦しんだ分人の痛みが理解でき、優しい眼差しをえた。その眼差しは、ご主人の家族、ご両親やおじいちゃん、おばあちゃんをも、彼女の大ファンにしている。とても大切にされているのだ。息子とその嫁の間に出来た孫が可愛くて可愛くて仕方ないらしい。幸せは寒気さえ追いやるのか、ガラス越しに差し込む太陽の光は、愛の結晶の衣の前でしばし居眠りをしていた。  過敏性腸症候群は決してハンディーではない。不都合ではあるが欠点ではない。寧ろその事によって得た視点は、学んで理解できるものではない。自然に備わるものでもない。情況が作り出した作品なのだ。その視点を大切にして暮らせば、大いなる実りを得られる。俗物的な物を超越した大切なものが見えてくる。心の中でしか存在しえない大切なものが見えてくる。形も重量もないけれど確かに存在するものが見えてくる。見えるものが見えないものに優ったことはない。見えないものにこそ普遍は宿るのだから。