寸止め

 「寸止めってご存じですか?」と尋ねられたが、目の前で空手の型を繰り広げた後だから素人の僕でも想像が付く。それにしてもさすが若いときにやっていたとあって、手の動きは結構早かったし、格好がそもそも良かった。恐らく僕より数歳しか若くないはずだが、型にはまった動きは目を見張るものがあった。 なんで薬局の中で、それも漢方薬を取りに来ただけの人が空手の格好をするのかと言えば、介護している母親の話になってからだ。母親は次第に痴呆が始まっていて、彼もなかなか苦労しているが、時に忍耐の限界を越え始めてきたらしい。「ボケ、カス!と言いながら、突きを入れたり、蹴りを入れたりするんですわ」と笑いながら言う。「我慢できん時があるんですわ、悪い人間でしょうかね」とも言う。言葉と動作がとても面白く僕は笑いをこらえることが出来なかった。  「オタクは、岡山県で一番介護を立派にこなしている男性だわ」と僕は彼が来るたびに褒める。突きでも頭突きでも蹴りでもいい、何をやってもいいと思う。下の世話を一人でしていて、その奮闘振りを具体的に話してくれる。下着をあげたり降ろしたりしているときにおしっこのシャワーは珍しくないし、浣腸で出してあげたものが目の前に降ってきたりする。排便の度にお尻を拭いてあげる。夜は寝付くまでベッドの傍にいてあげる。こうして印象に残った出来事は寧ろ彼の介護生活の一部でしかないのだろう、もっともっと尽くしていることは、彼が母親のために取りに来る漢方薬の要望で想像が付く。どんな些細な不調でもとってあげようと、遠くからやってくるのだから。だから彼がふざけて空手の真似をしても構わないのだ。そうすることで二人で笑いあえば、一瞬でも彼の交換神経が落ち着く。亢進し続けている交換神経を沈めてあげないと、彼自身が本当に参ってしまい「寸止め」ではきかなくなる。