罰当たり

 罰(ばち)が当たりそうだが、僕は目の前にいる女性を治したかった。顔を歪ませて苦しそうにして、ため息ばかりつくのを、なんら楽に出来ずに僕の薬局を出ていかすわけにはいかない。 お嬢さんに付き添われてやって来た。入って来て椅子に腰掛けるやいなや、上記のような苦痛の表情が始まった。連れてきてくれたお嬢さんも心配顔で母親の顔をのぞき込む。軽いストレスくらいではないなと思ったので、理由を尋ねてみた。最初は答えるのを少し躊躇っていたが「こんなことを人様に言うようなことではないんですが」と断りながら、心の不調をもたらした出来事について教えてくれた。いざしゃべり出すと、堰を切ったように饒舌になった。大きな声も出だした。  彼女を落ち込ませたのは「今時?」と言うような内容だった。お葬式にまつわることで、いわば親戚同士のいざこざだった。岡山では「おかんき」と言って、葬式の日から1週間毎、親戚が集まってお経を上げるしきたりがあるが、その出席もやはり親戚中が顔を合わせるからストレスらしい。合理的な僕は「もうやめにしよう」と親戚の人達に提案するように助言した。その根拠となる10年以上も前の、父のおかんきでの出来事を教えてあげた。 母が一人残された家に1週間毎僕ら夫婦と兄夫婦が集まった。お経を読める人がいないからテープを流しながらみんなで唱和した。最初は真面目にやっていたが、2回目になるともう飽きてしまって大儀大儀読んでいた。そのうち、お経の中であるところに来ると必ず吹き出すような所があり、笑いをこらえるのに必死だった。それは「ぎゃーてー、ぎゃーてー、はらぎゃ-てー」と言うところだ。言葉で書くと何でもないかもしれないが、みんなで唱和すると我慢できないくらいおかしい。そしてある夜、遂に笑いをこらえることが出来ずに吹き出してしまった。以来僕は人様の葬式に行ってもこの下りを非常に苦手としている。他人様の厳かな葬式でも吹き出してしまいそうなのだ。舌を噛んで我慢しないといけないくらいおかしい。  そのことを思い出したから、その女性に教えてあげた。話しながらその光景を思い出し、僕は笑いの壺に落ちてしまった。腹筋が痛くなるほど笑い、制御不能になって薬局の中を歩き回った。するとそれに連れて女性もお嬢さんも大笑いを始め、3人でしばらくの間だ笑いこけた。  結局、女性はとてもいい顔になって帰っていった。娘夫婦にその間漢方薬を作ってもらったが、ひょっとしたら漢方薬はいらなかったかもしれない。お経をネタに笑い転げたが、一人の女性が笑顔を取り戻したのだから許して欲しい。  不見識かもしれないが、亡くなった人より目の前の人に全力を尽くす。罰当たりでもなんでも。