専ら音は静寂を破るものと思っていたが、世の中には静寂を創る音もあるのだと今日悟った。 備中温羅太鼓とダンスグループのジョイント講演が今日総社市であった。いくつかの子供和太鼓グループの演奏の後、備中温羅太鼓とダンスグループのジョイントが始まったのだが、目新しいものには必ず保守的な反応を起こす人がいて、案の定僕の席の後ろで幾人かのおばさん達がダンスグループが出てくるたびに失望感を露骨に言葉に表していた。熱心な太鼓ファンにとっては、太鼓だけ聴かせてもらえればその方がいいと言うのは説得力がある。僕だってそうだし、恐らく多くの聴衆が思っていたのではないか。 その上に今日は幕が上がってから、数組が幼い子供の太鼓演奏で、聴き手に緊張感が保ちにくかった。それらの後、待ちに待っていた備中温羅太鼓が踊りグループをサポートする形で演目が進んでいったから、熱心なファンにとっては踊りグループの方に非難が集中しやすかったのだろう。第二部がいよいよ始まろうとしても、いや始まってからでも聴衆は騒がしかった。携帯電話の電源を切らなかった人も数人いた。いつもならあり得ない騒々しさの中で幕が上がり、ダンスが始まった。それを追っかけるように備中温羅太鼓の力強い演奏が始まると、その音に消されたのではなく、誰もが演奏に圧倒され口を利かなくなった。正に圧倒されお喋りな聴衆を静寂の向こうに追いやってしまった。正に太鼓の正確で力強いリズムが、一つの言葉を発することなく喧騒を鎮めてしまったのだ。いやねじ伏せると表現したくなるほどの圧巻の演奏だった。  備中温羅太鼓の演奏を聴くたびにどう表現すればそのすばらしさが少しでも伝わるかと頭をひねるが、演奏が汚い言葉が行き交う騒音を消した一瞬を体験したので今日はそのエピソードを紹介した。