凶暴

 廊下ですれ違う人、エレベーターの中、ほとんどの人が車いすだ。中には松葉杖をついている人もいるが概ね車いすだった。老人も多かったが、中年や若い人もいた。僕の母のように単なる転倒で骨折したような人も勿論多いのだろうが、年齢から言ってその様なことは考えられない人達も多い。仕事中の事故か交通事故だろうが、見ていて痛々しい。  脳外科やリハビリを標榜している病院だから、その様な患者が多いのは当然だが、そうした人が日々生まれているだろうことに心が痛む。文明がそんなに発達していなかった時代なら、こんなことで人生の重荷を背負う人などほとんどいなかっただろうなと、思いを馳せる。動物に噛まれる、落馬する、屋根から落ちる等、恐らく多くの人が一度に巻き込まれるようなことはなく、不注意からの個人の事故止まりだろう。それが文明の発達と共に、事故が多くなり、大きくなった。例えば車。何トンもの鉄の塊が毎日鉄砲の玉より凶暴に行き来する。これに何百人の人が撃たれる。 自動扉一つで、賑やかな祝日の光景と遮断され、ベッドに横たわり、車いすを押され、もくもくとリハビリに励む。こんなはずではなかったことがこんなはずになる。加害者も被害者も苦しむ。今日も明日も便利が凶暴に行き来する。