白菜

 決して都会の人ではないけれど驚きようは都会の人並みだ。いや本当はタレントと言っても通るくらい美人だから、その驚きようはスクリーンを通してみているようだ。ただそこはさすが近隣の市に住んでいる人で、素朴さは十分残しているから応対するのも力が入らずに心地よい。 今日は人物の評価ではない。その人がいつものように漢方薬を取りに来たのだけれど、車の中にお母さんを待たせていると言う。お母さんと一緒に来たことがないから訳を聞くと、牛窓にわざわざ白菜を買いにお母さんは来たらしい。わざわざというのが理解できないから尋ねると、牛窓の白菜は甘いのだそうだ。そもそも白菜に甘いという味覚を適用することなど思いもつかない僕には少し奇異に聞こえた。しかし、牛窓の白菜を同じ言葉で何回も褒めてくれる。  実はその数時間前に農家の方に6個白菜を頂いていた。6個と言ってもとても大きな白菜だから、少人数の家族で一つも食べることは出来ない。赤ちゃんを抱くより重いのではないかと思うくらいだ。6個ももらったからそのうちの一つをあげようと思って事務所から一つを抱いてでてくると「ワーッ、大きい」と驚きの声をあげた。僕もスーパーに白菜が並んでいるのを見たことはあるが、確かに4倍くらいあるのではないか。その大きな白菜をカウンターの上に立てると、女性が「牛窓の白菜はこの辺りまで甘いらしんです」と根本の白い部分からずいぶんと上の方まで指で示した。それがお母さんをして「漬け物を作るんだったら牛窓の白菜じゃないと駄目」と言わしめるらしい。塩辛ければなんでもいいという僕の味覚なんぞは及びも付かない舌の感覚の持ち主が、最高の褒め言葉を牛窓の白菜にくれたのだから、農家ではない僕でも嬉しくなる。  牛窓の農家も高齢化していて重量野菜を作るのは大変だろうと思うが、遠くからわざわざ買いに来てくれることを思えば二重の腰も伸びるだろう。