もしも

 もしも僕が1円玉をもらえば、僕の破れかけた財布の小銭入れに入れるだろう。もしも僕が5円もらったら、御縁がありましたねと、5円しかくれることが出来なかった人をありきたりの洒落で気遣うだろう。もしも僕が10円玉をもらったら、捨て犬を世話しているボランティアグループの募金箱に入れるだろう。もしも僕が50円玉もらったら、惰性で続いてる、今や募金箱を各店舗に設置してくれるよう依頼され、結局は誰も入れない赤い羽根募金に入れるだろう。もしも僕が100円玉をもらったら、すって元々だから大きな気持ちでパチンコの台に向かうだろう。もしも僕が500円玉をもらったら、教会に行き献金箱に入れるだろう。もしも僕が1000円札をもらったら、かの国の子達にバームクーヘンを買って11個に切って分けるだろう。もしも僕が2000円札をもらったら、なるべく早く買い物をして手許から消すだろう。もしも僕が5000円札をもらったら、鍼の先生のところに行き、筋肉の緊張をとってもらうだろう。もしも僕が1万円札をもらったら、片道5000円で行ける勉強会を探して出かけるだろう。もしも僕が5000万円札をもらったら、片手をズボンのポケットにつっこみ、見るのもいやな下品な顔をして、病院経営者に出来るだけの便宜を図り、果ては欲の塊の経営者達のためにオリンピックという飯の種を引っ張ってくるだろう。