二束三文

 娘夫婦から言うともう我慢の限界だったのだろう。家の中をスッキリさせたいと以前から言っていたが、昨日遂にリサイクル業者に来て貰って、家中がスッキリと・・・とはいかなかったみたいだ。こちらがもって帰って貰いたいものと、向こうが持って帰りたいものとにかなりのギャップがあって、期待したほどは持って帰ってはもらえなかったみたいだ。それでもリポビタンなどを冷やす大きな冷凍ショーケースは持って帰ってもらえたみたいだからそれだけでも有り難い。2階のリビングにあった大きなソファーも持って帰って貰ったのに今日言われるまで気がつかなかったのだから、余程普段から無用のものだったってことが良く分かる。 娘に尋ねてみると8点持って帰って貰ったらしい。意外と古いものが人気があるのか、断られて元々のものを持って帰って、自信があった新しいものはことごとく断られたみたいだ。  僕は売って得たお金を何に使おうかと内心楽しみにしていたのだが、娘達はH薬剤師が熱心にボランティア活動をしている、捨てられた犬や猫のお世話をするNPO法人の募金箱に入れると決めていた。いつもなら山100円玉までしか入らない募金箱に千円札が2枚入っていたらから、ひょっとしてこれが昨日の成果なのと尋ねると、案の定8点分の値段だそうだ。 ただでもいいから持って帰って欲しいと言うのが本心だからこの2千円がとても有り難かった。あれらの物にいくらの値段を付けて販売するのか知らないが、1点200円余りの仕入れ値だから、結構儲かるんだろうなと下世話な想像もした。  買い物が嫌いな僕の家で何故あんなに溢れんばかりの不用の物があるのか分からない。文化的な生活を気取っていても、所詮僕達は二束三文のがらくたに囲まれて生活しているのだ。本当の価値は買うときではなく売るときの値段で分かる。後生大事にがらくたを抱えて心までがらくたになってしまいそうだ。