屈辱

 僕が屈辱を味わうべきか、果たして同居しているベトナム人の2人が味わうべきか。はたまた日本にやってきている24万人のベトナム人が味わうべきか。
 社会福祉士の国家試験が終り、後は実習を少ししていよいよ卒業だ。2年間の専門学校とはお別れだ。系列の介護施設に就職が決まって3月に我が家を出て行く。そこで施設の近くにアパートを借りるらしくて、先日探しに行ってきた。不動産屋を通して探してもらったらしいが、なかなか外国人には貸してもらえない。1件だけ条件をクリアするアパートが見つかり、書類を貰ってきた。当然保証人が必要で僕しかなり手はいないから快く書いてあげた。娘や息子のときも同じように書いて借りることが出来たから、今回も安心していた。ところが翌日断られたと沈んだ顔で2人が帰って来た。僕の職業がダメなのか、僕の年収が不安なのか、断られたのは初めてだから、何となく不愉快だった。
 翌日再び意を決してアパート探しに出かけた2人が帰って教えてくれたことには、1件を残して皆断られたらしいのだが、断られた理由が「ベトナム人だから」らしい。容赦ない直球の答えで、僕の濡れ衣が晴れたのはいいが、思い当たることはある。「一人で契約したのに沢山で住む」と言う具体的な話を教えてもらったが、それには思い当たる節がある。僕が世話をし、再来日した子が何人かいるが、彼女たちが懐かしがって牛窓にやってくるのはいいが、友人を連れてくることが多く、中には男まで連れてくる。男を連れてくる女性は決して泊めないが、女性3人を連れて来たりしたときには仕方なく泊めてあげた。向こうではお金を借りることも、人の家に転がり込むこともとても敷居が低い。日本人には耐えられない低さだ。よほど善良さが分かっていたら気にはならないが、まだ気心も知れていない段階でそれをやられるとさすがに不愉快だ。
 僕が今まで付き合ってきた女性たちは、現地の工場で働く4000人の中から選ばれた人たちだから、体も心も健康な人が多い。ところがこのところ遭遇するベトナム人は、留学生と言う名で来日して3kで働くことを目的にしている。国は知っているはずだが、知らない顔をしてそれを見逃している。アホノミクスが如何に日本の庶民の環境を害しているかよく分かる。駅前にたむろする姿は、嘗ての日本の落ちこぼれた若者達の姿に重なる。嘗て見たくなかった光景を最近見なくなったと思ったら、東南アジアから来た若者たちがそれを受け継いでいる。
 僕の肩書きも、僕の収入も、何の保障にもなりえないほど今ベトナム人は嫌われている。嘗てその純朴さと勉強熱心さで高い評価を得ていたのが嘘のようだ。5年位前に「これから来るベトナム人怖い」とベトナム人が言っていたのを思い出す。どうりで僕と行動を共にするベトナム人は、他のベトナム人に会っても目もくれないはずだ。