哀れ、丸亀城の堀の鯉。
 こんなに誰にも邪魔をされずに堀をのぞき込むようなことは今だ嘗てない。ベトナム人を連れて、祭りの野外の太鼓や、四国中から集まった獅子舞の競演を見るために訪れるのが常だったから人で混雑しているのが当たり前だった。今日は当然催し物などない日に訪れたので、閑散としていた。四国の金毘羅さんも、尾道も丸亀も、観光客らしき人に会わない幸せな時間を提供してくれた。
 堀の水はほぼ緑色だった。雨が多いと泥水みたいになっていることもあったが、今日はほぼ緑色。藻が繁殖しているのだろう。素人の懸念だが、緑の水の中で鯉は目が見えるのだろうか。ついでに、泥水の時には見えていたのだろうか。
 振動が伝わるのか、話し声が聞こえるのか、僕たちが近づくと鯉が一斉に集まり、皆一様に大きな口を開け、水面から出す。恐らく観光客が投げるふ?パン切れ?餌?を期待して大きな口を開けるのだろうが、大きく水面から口を出している姿はいかにも無防備だ。堀の中で比較的平穏に暮らせるからあんな不自然な体制をとれるのだろうか。
 ただし、その光景は見るからに「哀れそのもの」だった。ほとんど僕には醜態に見えたが、おそらくある種の人間を思い浮かべていたからに違いない。頭上から投げ与えられる餌に群がる姿は自尊心のかけらもない。
 コロナを理由に、賃金を下げられている人は多いだろう。ただ、企業には貯えまくった金があまりに余っている。本来この金は労働者に分配されてしかるべきものなのだが、会社と言う幻想の共同体に蓄えられている。本来ならもっともっと取り返せばいいのに、去勢された労働者は、水面から口を開けて投げ込まれる餌をただ待っているだけ。自分の力で奪い取りに行けばいいのに。自分たちが働いて稼いだ金だろう。
 いつもの天守閣があって、いつもの木々があって、いつものカラスが飛んで、いつもの風が吹くのに、いつもの自分がなかった、今日の丸亀。