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 Hと言う八百屋さんは、そのご主人がとてもそろばんが得意で、牛窓の子供達の多くが習っていた。お嬢さんもとても上手で八百屋さんをしながら教えていたが、時代の波で店をたたんだ。Nと言う食堂は、バスの終点にあったから運転手さん達がいつも頻繁に出入りしていた。造りは良くなかったが味が良くて結構はやり、最近までそれこそ夫婦とも体が動かなくなるまで営業していた。Kという肉屋さんは、初めて僕がテレビを見させてもらった店で、力道山の試合の時間になると人だかりが出来ていた。何処にもテレビがなかった時代だったので、余程流行っていてお金があったのだろうが、随分前に店を閉めた。Uと言う服屋さんは、幼い僕には随分と高級な服を売っている店に見えた。案の定、何かを買って貰った記憶はない。息子さんは跡を継がなくて、お父さんの代で店を閉めた。Oと言う造船所は、それこそ桁違いの規模で、そのお家の人は僕らから言えば異次元に住んでいる人達だった。しかし、もっと大きな造船所との競争に敗れ造船から撤退した。Hと言う文房具屋は、僕が幼いときにはもうおばあさんに見えたような人が一人でやっていた。文房具と言うよりプラモデルが狭い店一杯に並べられ、少年にとっては夢のような店だったが、老いて店に立てなくなって、やがてひっそりと店を閉めた。Nと言う魚屋も又女性一人で切り盛りして、上品な感じのする人だったが、一代で店を閉めた 僕が少年時代を過ごした家の回り、恐らく200メートルの半径内でも、今思い出せば多くの店があった。個人の店がほとんどだったが、家族で懸命に働いていたと思う。きっと誰の力も借りることなく、懸命に働いたのだと思う。誰の支援も受けず、まして公の支援などなく、賢明に頑張っていたのだと思う。そして力つき消えていったのだと思う。  今日は朝から何度もテレビやインターネットでこのニュースを目撃した。公共の電波を使ってただで宣伝してくれている。会社が大きいと、僕らの税金を一企業の売り上げを増やす宣伝費に使ってもいいらしい。「吉野家が牛丼を100円値下げして280円になった・・・」