ショベルカー

 今日から道路を挟んだ向かいにある古民家の解体が始まった。大正の家か昭和初期か分からないが、何となくこぢんまりしていて、何処かそれらしいところに展示すれば、入場料を取っても良さそうな趣がある。 朝からショベルカーが活躍し、その回りを男達が手作業でカバーするのだが、壊せば壊すほどそのこぢんまりした家の体積が増えるような錯覚に陥った。1の物を壊して2になるようなものだ。いや2倍ではすまされないようにも思う。壊せば壊すほどがれきは大きさを増し、山のように盛られる。トラックで少しずつ運び出されるのだが、いつまでも同じだけ山があったような気がする。  物珍しさで午前中はしばしば調剤室の窓から覗いていたのだが、さすがに午後になると飽きた。日暮れ前に見ると山は低くなって、今までは決して見えなかった体育館が、当然のように目の前に現れた。 妻も何処か落ち着かない風で、時々眺めていたが、ふと「震災のがれきみたい」と言った。西に暮らす僕達は映像でしか見たことがないが、そう言われればいつか見た光景だ。つい昨日まで形があり機能していた物が無惨に破壊される、それが意図しないものだったらどれだけ無念だろうと思う。  恐らく明日は全てが撤去され視界はもっと広がるだろう。小股で歩き、目をショボショボさせる気の弱いじじいが、この先数年も生きそうにないのに、気の弱さを隠すために又偉そうに吠えている。益々視界不良のこの国にショベルカーばかりが闊歩する。